奥田雅楽之一の日記です

2009/12/23 ヨーロッパ探訪日記

・ドイツのドレスデンに着いた。
 久しぶりにヨーロッパへ来た気がするが、
 勘定してみるとたったの8ヶ月ぶりでしかない。
 今回は日本を離れる寸前まであっちこっちに連絡をして、
 後ろ髪を引かれるように飛行機が離陸してしまった。
 短期間とはいえ、日本を離れることには毎度申し訳ない気持ちがある。
 それはこの旅行が 、自分の我が儘であるからだと思う。
 でも、今の自分には必要な時間と判断してるから、
 ヨーロッパ旅行の時間を確保している訳である。
 勿論、いつまでも続けるつもりはない。

・ドイツでは、いつも静かな朝を迎える。
 着いた日の翌日は、目覚ましをかけない。
 目覚ましをかけないからといって、遅くに起きるものでもない。
 時差ぼけもあるのかもしれないが、
 自然に射し込む朝陽の光によって、夢から覚がめる。
 着替えて、パンを買いに行く。コーヒーを入れる。
 音楽をかける。決まって、バッハを 聴く。こうしてヨーロッパの生活が始まる。

・友人達に会うのも楽しみの一つである。
 特に今回は何の仕事も抱えないで来たつもりなので、
 友人達との再会も、ゆっくり話をして、ゆっくり過ごすことが出来る。
 こちらにいると、日本の生活、
  否、日本での自分とは違う自分になる気さえする。
 どちらが本当の自分かと、ありきたりな事を考えてみる。
 いつも同じ答えが 出る。どちらも自分なのである。

・スペインのバルセロナに来た。
 行ってみたい場所の筆頭であったバルセロナへ念願叶ってやって来た。

・噂にきく街の象徴、アントニオ・ガウディの設計によるサグラダ・ファミリアは
 期待を裏切らない物凄い建築であった。
 私がどの国へ行っても思うことであるが、
 歴史的巨大建築物とは、元来は信仰の象徴として作られるもので、
 このサグラダ・ファミリアもガウディの、
 あるいは人々の敬虔な信仰心によって生み出される ものであったろう。
 でも、何と言うか、サグラダ・ファミリアに対峙した私の第一印象が
 『信仰<芸術』であった。
 芸術への情熱が信仰越えていくような、
 建築というより巨大彫刻が眼前にはあって、特殊な印象を持った。
 芸術の力の中には、時として全てを超越する要素があるが、
 そのことを思い起こさせる対象としては、私の経験上最高のものであった。

・パエリアが旨い。本当に美味しい。毎食パエリアでも飽きない。
 日本で食べるそれとは、格段に違う何かがある。
 レシピを知りたい。憶えて帰りたい。
 でもきっと、こちらの人間にしかわからない、塩梅があるのだろうから、
 敬意を表して、ただ美味しく頂くだけとする。

・ピカソ美術館に行った。ピカソの作品はいつ観ても官能的である。
 果たして、こういう世紀の大天才が今後再び地球上に現れることがあるだろうか。

・ガウディの設計したグエル公園まで散歩に行ってみた。
 朝だというのに、沢山の観光者がいるのに驚いた。
 公園の隅から隅まで歩いてみた。
 曲線的な面白い作りである。
 たまに、犬を連れた人が散歩に来ていたり、
 ピカソみたいな老人が、寒いのに短パンで走っていたりする。
 どうやら、近所の人にとっては、ただの公園で ある様だ。

・ホテルの窓から見える夜景が綺麗だ。
 遠く、丘の上にお城が見える。
 この景色を見てもらいたい人が、数え切れない程いる。
 こんな風に思える自分は、きっと幸せ者なのである。

・飛行機はベルリンの空港に着いた。ここからドレスデンに電車で戻る。
 しかし寒い。氷点下15度らしい。
 ベルリンの壁が崩壊して20年、今年は実に目出度い年に当たる。
 次の電車まで時間があったので、ちょっと博物館に行ってみた。
 私も知らなかったが、ベルリンのペルガモン博物館は素晴らしい。
 ちょっと立ち寄っ た割りに、
  大きな収穫を頂いて、博物館を侮っていた自分の偏見を恥じた。

・ドレスデンに戻った。あっという間に数日が過ぎてしまった。
 ドレスデンはクリスマス一色になっていた。
 この街のクリスマス市は歴史があって、どのお店も個性があって、飽きない。
 家族連れも多く、どの子供達も皆サンタクロースへの希望と、家族愛に満たされている。

・雪が降った。生まれて初めて、ホワイトクリスマスを迎えることになりそうだ。
 もうすぐ日本へ帰ると思うと、つい手帳を広げて、帰国後の予定を確認してみたくなる。
 気持ちが急くが、こういう感覚が、怠け者の自分を奮い立たせる。
 日本には沢山の、数え切れない程の大切な人がいて、多くの人に頂いた多くのご恩を、
 これからお返していく使命が自分にはある。
 私はヨーロッパが大好きであるし、ヨーロッパの文化が大好きであるが、
 いつも、どんな時も日本人であることに誇りを持ち、
 日本人に生まれて良かったと思っている。
 遠く離れた地ではあるが 、自分を産んでくれた両親に心から感謝している。


※写真を更新しました。平成21年、最後の写真です。


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2009/
12/14 旅行の前に

師走も二週間が過ぎ、私は遠征先の広島から東京に戻ったところです。
明日から、ヨーロッパへ飛びますが、旅行の前に日記を書きます。

まず、皆様にお知らせしたい事が何点かございます。

・雑誌月刊ピアノ、今月号の最終ページに私への取材が掲載されます。
お近くの 本屋さんにお寄りの際はちょこっと覗いてみて下さい。

・来年1月2日〜26日まで、
新橋演舞場にて歌舞伎『黒塚』が上演されること になり、
私も2幕に箏で出演の予定です。私の出演日は追ってお知らせ申し上げます。

・1月27日、日本橋三越劇場、三越名人会に一族で出演、『信楽狸』を演奏致 します。

・1月31日、雅楽之一稽古場主催『新年会』を致します。
場所は市ヶ谷亀岡八 幡宮です。
こちらに関しましては後日、改めてご案内させて頂きます。
以上ご承知頂きたく、ご案内申し上げます。
先日、毎年恒例の今年の漢字が清水寺で発表されて、「新」だった様です。
新政権、新型インフルエンザなどが理由に挙がるとか。
私も今年の漢字一字を考えてみました。
一番相応しいのは、「節」です。
本年私は30歳を迎え、
それに際し誕生した奥田雅楽之一稽古場は年末27日の稽古を最後に、
本年を無事に結びます。
そして今年は、
天皇陛下が御即位20年をお迎えになられた節目の一年でもあり、
私にとっては生涯忘れ得ぬ節目の一年となりました。

明日からの旅行の目玉は、初めてのスペイン入国です。
バルセロナは治安が悪いらしいので、
万事気をつけての旅行を心掛け、多くを見聞してきます。


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2009/
12/4 血縁を辿る

私の父・奥田敦也は『愛知県の蒲郡』の出身。父方の祖父・奥田潔は『名古屋』の人。
父方の祖母・奥田きぬゑは『静岡県、浜松』の出身です。

私の母・奥田一子は『東京都、国分寺』の人。
母方の祖父・唯是震一は『北海道、深川』の出生で、
祖父の父・唯是一三は『北海道・札幌』の人。
祖父の母・唯是菊枝が『石川県、金沢』の出身。
ちなみに祖父の先祖は『岩手県、遠野』です。
母方の祖母・中島靖子(本名:唯是靖子)は『東京都、市ヶ谷』の人で、
祖母の母は『長野県、上田』の出身。
祖母の父・中島雅楽之都(本名:利之)は『京都』の出身。
ちなみに祖母の先祖は『長野県、戸隠』。

と分かる範囲で挙げてみました。
こうしてみると、私は結構な混血という事実がよくわかります。

確かに、自分に縁のある土地へ行くと、親しみが沸く心持ちが致します。
とりわけ、父の郷里である愛知県には、特別な思いがあります。

※七橋会の皆さんへ
先日はおめでとうございました。
以上にに書きました通り、
今回は私にとって特別な土地である愛知県の三河の地に参りまして、演
奏会に参加させて頂けましたこと、並びにご縁が出来ました事、
心より感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
あの後、東京に着きまして、
さっそく頂いたお味噌でさっそく味噌汁を作って(しかも夜中に)、頂きました。
やっぱり味噌は愛知赤出しだ
ら!!最高に美味しかったです。
皆さんにオススメのチョコレートをお送りしたので、召し上がってみて下さい。
先生のお宅にお稽古に行かないと、食べられませんよ〜。(笑)

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2009/11/17 UFO目撃情報

夢心地の願望ですが、私は宇宙へ行ってみたいです。
特別な資格と訓練が必要と思いますが、
ロケットに乗って地球の外に吹っ飛んで、
青い地球を見られる事に心底憧れています。
私は小さい頃、スペースシャトルのパイロットになるのが夢で、
両親が買ってきたスペース・シャトルの操縦室の絵葉書を毎日、
穴が空くほど見ていましたが、
ある時宇宙には空気(酸素)がないのだと誰かに教わって、
それは苦しそうだなと思って、簡単に夢を諦めました。
もし自分が芸術と無縁な人生(そんな人生、嫌ですが)を送ってきたらば、
おそらく宇宙へ関心を持って勉強したろうと思います。
言うのは簡単な話ですが。
ところで、私の母は、UFOを何度か見たことがあるそうで、
羨ましい限りですが、この際はっきり聞いておこうということで、
その時の様子を尋ねて来ました。
何でも、母は三回見ているんだそうです。
一度目は屋根の上で日光浴の最中に一体。
UFOだと認識した瞬間、高速で飛び去る。
二度目は東名高速道路を走っている時、富士山上空に数体浮遊。
運転中の夫に教えるも、真面目な夫はよそ見出来ず、証人にはなれず。
三度目は夜中、我が家の真上に。
中でも三度目がちょっと恐いんですが、
家の中にピンクと黄色が混ざったような、
この世のものでない強烈な光が差し込んできて、
母は三度目にして、「ついにお迎えが来た」と思ったらしいです。
しかしながら、ここでUFOを見てしまったら、
旦那や子供3人と永遠のお別れという気がして、
一目散に布団に潜り込んでしまったらしいです。
母はそれ以来、UFOは見ていないらしいです。
この前、茶席で隣に座った方と何気なくそういう話題になって、
ちょっと、信じ難い話を聞きました。
「奥田さん、実は私、宇宙人に会ったんです。」
「え?本当ですか。まさか。」
「嘘ではありません。私が小学4年生の時です。」
「どんな姿なんですか。」
「手の平サイズでした。」
「で、どうしたんですか?」
「死んじゃったんです。」
「は?」
「その宇宙人、私の前でコロッと、死んじゃったんです。」
「…。」
「…、だから、土に埋めてあげました。」
「そんなことが…。」
「本当の話よ。」
と、まぁこんな会話でした。
世の中、まだまだ分からない事が沢山あるようです。

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2009/11/4 続・野球チームを作ろう

前回の続きです。



我がチームの仮名称「市ヶ谷レッド・ソックス」にしておきます。
市ヶ谷レッド・ソックスは、実に野球部出身者が少なく、
強敵村松ヤンキースに打ち勝つ為には、
弱者の戦法(野村ノートより引用)で戦うより他ありません。
頭を使った野球、いわゆるID野球です。
しかし問題は、相手のD(データ)がない。←致命的

よって、まともに戦っては勝負にならないので、
姑息な手段で戦う他ありません。
以下、私の考える戦術です。


攻撃

1番 田波。野球部出身者なので、何が何でも出塁する。
   すかさず、陸上選手全国大会レベルの駿足で二盗、続いて三盗。

2番 田辺。田波が走る間、打席で粘る。
   ピッチャーは田波を警戒する余り、動揺してコントロール定まらず、
   田辺持ち前の嫌らしさも手伝って四球を選ぶ。ノーアウト、ランナー1、3塁。

3番 奥田。一人、自由に野球が出来る立場なので、
   ホームランか三振かでイチがバチかを狙う。多分、三振。1アウト。

4番 川村。野球部出身者なので、何が何でもランナーを帰す。
   1点先制。尚、ランナー1、2塁。

5番 外国人 ドミニカ人。体はデカく、顔は怖い。
   が、野球経験がない。威圧感でピッチャー動揺。四球を選ぶ。1アウト満塁。

6番 新見。広島弁でキャッチャーを威嚇(ささやき戦術)、
   キャッチャー動揺してパスボール、1点追加。尚、2、3塁。
   が、ピッチャー逆上して新見に死球。乱闘、両軍、グランドに入り乱れる。
   秘密兵器・伊藤由紀子登場。バットを振り回して群集に突っ込む。ケンカが収まる。

7番 中島。ケンカに疲れて三振。

8番 渡辺。 ケンカに疲れて三振。3アウト。

虎の子の2点を先取。強敵に同じ手2回は通用しないので、
一回表の攻撃に全てを懸ける。
あとはピッチャー田波が打者21人を連続三振に仕留め(ギネス記録か)れば、
我がチームは金星を挙げる訳である。


以上が戦術である。


前回の日記の反響が良かったので、調子に乗って続編を書いた次第です。



でも野球の日記はこれでおしまい。

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2009/10/23 野球チームを作ろう

野球の話です。

当ホームページで野球のことを書くのは初めてかもしれませんが、
実は私、野球愛好家なんです。
全国へ旅行に出掛ける私は、迂闊に口に出せないんですが、
私は熱狂的巨人ファン、寝ても覚めても巨人ファンです。
私の姉が何故かヤクルト、伯母の知子さんが阪神、
祖父の秘書をしている酒井さんが熱狂的な中日、
稽古場の番頭・田邉が生粋の横浜、
私の弟子の新見(雅晃)君が地元広島、で、
シーズン中は私の身の回りが騒がしく、熱い論議が交わされるのです。

野球は、考えるスポーツ。采配(作戦)が顕著に明暗を分けるスポーツ、
頭を使う職業。観戦する側も頭を使うので、
議論を戦わせると各々に野球観があって面白いです。

我が読売巨人軍は今年も(2位以下を大きく突き放して)優勝!3連覇を達成!!
原監督は、ベテランから若い人材まで巧に使い分け、
見事にペナントレースを戦い抜きました。
昨年は日本シリーズで苦杯を舐めたので、
今年こそは頂点に立ってくれると信じています。

そういえば私も小学校時代は野球少年でした。
最近は運動不足が深刻で体は怠ける一方ですが、
野球を観ていると血が騒ぎ、ウズウズしてきます。


北陸の お世話になっている老舗楽器店「村松屋」の社長が、
どうも最近、野球チームを作ったらしいんです。
チーム名を村松ヤンキースというらしいんです。
野球部出身の連中を中心に集まって、本格的に活動してるらしいんです。
「雅楽之一さんも、チームを作って、ウチと試合しましょう。」
と言われたので、私も体が動く間に、
正派邦楽会に縁がある連中でチームを作ってみようかと考え始めています。
以下、私の考えるスタメンです。
名前の挙がった諸君は覚悟しておいて下さい。

1 ピッチャー 田波大樹(所属:大阪田波楽器)
 野球部出身、100M10秒台で走る俊足。速過ぎる…
2 セカンド 田邉明 (正派邦楽会)
 持ち前の嫌らしい性格で、クサい球はカット。
3サード 奥田智之 (正派邦楽会)
 少年野球時代のポジションと打順。ショート・バウンドは怖くて逃げる。
4 ショート 川村大輔 (都山尺八楽会)
 野球部出身。彼が打ってくれなきゃ困る。
5ファースト 外国人(未定)
 これから発掘、ドミニカ人あたりが望ましい。
6センター新見晃司 (正派邦楽会)
 今はなき広島市民球場を貸し切って野球をした経歴がある。チーム最年少。
7ライト 中島卓(琴光堂)
 専門はバスケ。だが、そんな事も言ってられない。
8レフト 渡辺清弘 (琴光堂)
 専門はバスケ。だが、そんな事も言ってられない。
9 キャッチャー 佐藤公則 (正派邦楽会)
 最年長にして、ムードメーカー。
マネージャー兼、秘密兵器 伊藤由紀子(奥田雅楽之一稽古場)
 可愛い顔して気が強く、力があり余っている。 

以上です。

う〜ん、何て弱そうなチームなんだ。
我こそは、というアナタ、我がチームへの入団をお願いします。

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2009/10/2 年末の旅行計画

大阪で演奏会があって、日程の都合上、
大阪から長野県の松本に移動しなくては ならなくて、
家元と二人、名古屋から「特急しなの」に乗って松本へ向かいました。
列車は、時に思い掛けない景色を横切って行きます。
いわゆる、中央アルプスを 通る線で、
岐阜県の中津川、木曽福島を通り、松本へと入って行きました。
松本へは何度も行きましたが、この角度から松本へ入ったのは初めてで、
車窓の山景 色に終始見入っておりました。

俗に言う『都会っ子』に分類される私は自然に接する機会が極めて少なく、
日に日に心が貧しくなるのですが、
思い改まって自然の中へ飛び込んでしまうと、
体中の緊張が解け、懲りがほぐれます。
以前は気が向くと車をピューンと飛ばして長野の山へ行ったりもしましたが、
最近はそういう不審な行動をすっか慎むようになって、
大人しく東京にいるようになりました。


そう。そんな大人な私は、
これからは計画的に動こうかな、というところで、
本年は、年末にヨーロッパへ行く予定を組んでいます。
せっかくのクリスマス・シーズンですし、
未だ降り立ったことのない地へ行ってみようかと、
その地(国) を何処にしようか、思案しています。

有力候補があります。スペイン、バルセロナです。


建築と彫刻の歴史的傑作、
人間の遺産、天才・アントニオ・ガウディーの
サグラダ・ファミリアが私のお目当てです。
古今東西問わず、壮大な芸術品を好む私にとって、
サグラダ・ファミリアは憧れの的です。
今年はブラジル、アメリカ、スペイン、そして普段は東京、と、
何だかオリンピックの候補地を転々とする様でちょっと不思議ですが、
「縁」のある土地、「縁」のある人との巡り会いは劇的で、
昨日の他人は今日の友、日一日ごとに増えていく友人に支えられながら
今日を生きているのだと私は思っています。


ブラジルでの写真を一枚だけ、掲載します。

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2009/9/23 サン・フランシスコ遠征日記

・サン・パウロを、夜10時に発ちました。
 機内で同行してくれた箏屋の中島卓さんの隣りに座り、
 最初の3時間くらいずっと話込みました。
 彼は、私の箏の糸締めを担当する職人でもあるので、
 仕事の話からプライベートの話まで、話題は尽きませんでした。
 乗り換えの為のダラス空港に着いたのが朝の6時。
 同行の母、卓さんとはここでお別れ。
 ここから二人は日本へ帰り、私はアメリカへ発ちます。
 別れ際に三人でタコスを食べて、何だか可笑しい話をして、
 お腹を抱えて笑い、一時疲れを忘れました。

・サン・フランシスコに着いたのが朝の9時。
 時差があるのでわかり難いですが、
 サンパウロから考えると、約15時間掛かりました。
 空港で祖父達一行、東京組と合流。
 久しぶりに見た祖父が元気そうで、安心しました。

・ブラジルに引き続き、ここアメリカでも准師範試験が行われました。
 試験当日、場所は変われど同じ人間、受験生は緊張で硬直していました。
 午前が筆記試験、午後は実技試験。
 受験生は若さと気合いで難関を突破し、晴れて准師範に登第。
 受験生の中には、私と仲良しの友人もいて、私も随分気を揉みました。(笑)
  一方、アメリカ人の御主人と結婚した主婦の方がいて、
 厳格で真面目そうな御主人に見守られ、日々、勉強を重ねたそうです。
 合格した後、私に向かって
 「本当に、信じられません!」
 と何度もピコピコお辞儀していたのが、何とも言われずチャーミングでした。
 一人、まだあどけない、10代の女の子がいました。
 アメリカ人とベトナム人のハーフで、ニックネームを琴音(ことね)といいました。
 琴音は心が優しく、まだ音楽を動かすだけの強さはないですが、
 音楽の天分に恵まれていて、きっと音楽が大好きなんだな、と思いました。
 〜琴音へ〜
 「琴音、おめでとう。言葉の壁を乗り越えて、よく頑張りました。
  これからも音楽を愛していって下さい。ジトーダイ先生を、大切にしてね。」

・翌日から講習と、プライベート・レッスンが始まりました。
 沢山の方々が遠方より勉強にいらして、
 私がその期待に応えるには余りにも役不足ですが、
 経験してきた事に信念を持って、基礎から指導させて頂きました。
 海外の人にとっては、数年に一度しかない勉強の機会。
 こういう場合にどうお稽古をするかですが、
 何と言うのか、アレが駄目、ココが駄目、
 と現状改善ばかりに時間を割くのは少し無責任で、
 いかにして研究を重ねていくか、
 勉強の仕方なんかを示してあげる方が相応しいと思い、心掛けました。
 夜、試験合格者とその御家族を交えたパーティーがあり、
 大変美味しいディナーを頂きました。
 家族に見守られ、支えられて勉強をしてきた受験生にとっては、
 ささやかな恩返しといったところで、微笑ましい光景が垣間見られました。



・講習2日目。祖父が講義をする場合の私の主な役目は三味線群の監視。
 中に、三味線を始めたばかりという女性の方がいて、
 逐一うるさく口を挟みますと、彼女もそれに応えるように一つ一つ改めて、
 短時間で物凄い量を吸収していきました。

 『鉄は熱いうちに打て』

 といいますが、何事も初めが肝心。
 人間教育も含め、最初の内にきっちり方向付けをしておかないと、
 学ぶ側は道に迷ってしまいます。講習後、その女性と話をしました。
 彼女は私より少し年上の方ですが、
 読書家らしく(私は読書家が好きです)賢い人で、
 先生と生徒という関係を解消した途端、逆にこちらが学ぶ側にな りました。
 人生は、やはり出会いであります。



 友人が海に連れて行ってくれました。夕日が、僕の目の前で沈みました。友人は、

「この海のずっと向こうが日本だよ。」

 と言いました。渡り鳥が、スーッと日本の方へ飛んで行きました。



・いよいよ日本へ帰る朝が来ました。
 空港まで、沢山の人が見送りに来てくれました。
 アメリカは飛行機に乗る前の検査が厳しく、
 身ぐるみはがされて、靴まで脱がされて、
 三味線を危険物だと疑われて少しムッとしましたが、
 振り返ると皆が目一杯背伸びをして手を振っていたので、
 僕も両手を広げて大手を振りました。



「ありがとうアメリカの皆さん。
 これからは日本文化を今一度見直す時代がやってきます。
 その手本になれるよう、一緒に勉強を重ねていきましょう。
 正派アメリカ支部長・佐藤先生。色々とありがとうございました。
 何もかも、先生の御尽力のおかげです。
 ご主人様にも、くれぐれもよろしくおっしゃって下さい。」

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2009/9/7 サン・パウロ遠征日記

・私は日本から考えれば地球の反対側にあたる、ブラジルのサン・パウロにいます。
 こういう場所で日本語を書いているのが不思議だなっていうくらい、
 遠くへ来た様な感覚です。
 26日のお昼頃家を出て、サン・パウロ空港に着いたのが27日の朝、
 時差12時間、総移動距離は実に30時間以上でした。
 成田からアメリカ のダラスに飛んで、ダラスから南下してサン・パウロに到着しました。


・サン・パウロは、ブラジル経済を支えている都市というだけあって、
 中心部まで来ると都会です。何より、驚かされるのは車の交通量の多さ。
 東京も交通量では世界的に有名でしょうが、サン・パウロは東京の比でなく、
 交通ルールも滅茶苦茶で、事故るんじゃないかとドキドキします。

ブラジル在住の方曰く、

「アイルトン・セナの運転が上手いのも、こういう街の出だからですよ。」だとか。

ちょっと、笑えるジョークでした。


・ここサン・パウロでは、
 日系の方々を中心に多くのブラジル人が箏や三味線を習っていました。
 私が集会所へ行くと一人一人が
 礼儀正しく挨拶に来てくれるのに、ちょっと驚きました。
 皆が真剣に勉強をしていて、でも全然カリカリしていなくって、
 人間の大らかさと純粋さに大変感慨深いものを感じています。

試験審査があったり、コンサートがあったり、
さらに双方の準備に時間を要するので、
一日一日はあっという間に過ぎていきますが、
一日一日、一人一人との関係が打ち解けていって、
お互いの間に確かな信頼が生まれている実感があります。
皆本当に熱心で、頭が下がります。


・試験の審査を無事に終えて、新しく正派邦楽会の幹部が誕生しました。
 しかも、遠くブラジルの地にです。
 審査委員として来ている以上、
 幾ら情が働いても審査を甘くする訳にはいきませんが、
 親切に対応することだけは心掛けて、言葉の壁も乗り越えて、
 彼女達は実力で箏の先生になりました。
 嬉しかったです。


・サン・パウロの中心にある大きなホールで、コンサートを開催しました。
 一体お客様からどんな反応が返ってくるだろうかと期待半分、
 不安半分で幕開けとなりました。
 仲間達は、随分緊張していました。
 又、馴れない着物に締め付けられているのもあり、
 表情が硬く、顔色も悪かったので、
 何とか緊張をほぐすようにと私 は一人でつまらないジョークを飛ばしていました。
 でも皆、素敵な演奏をしました。
 終わってみれば、日本の音楽はお客様に大変歓迎されて、
 大きな拍手を頂いて、自分に、というより、仲間達に降り注ぐ拍手だと思うと、
 尚一層、胸が熱くなりました。


・あっという間のブラジル滞在。


最後の夕食の時、私の目の前に座った純粋な青年が、真剣な顔で言いました。


「ウタノイチ先生。ワタシたちの演奏を、どう思いましたか。」

とっさの質問に

「よかったよ。」

と応えると、彼は顔を横に振りました。

「よくないです。ワタシたちは、ぜんぜんうまくない。どうしたらいいですか。」

私も姿勢を正して、真剣に言いました。

「うまくなる。皆で輪になって、隣の人が先生だと思ってやってみてごらん。
 うまくなるよ。
 それにね、君たちは音楽をやる以上に、大きな役目があると僕は思っている。
 それは、君達をここまで育ててくれたサン・パウロのお箏の先生を、皆で守ること。
 御恩をお返しなさい。」

彼は首を立てに振って、涙で真っ赤になった目で天を見上げていました。

別れ際に、彼が礼儀正しくお辞儀をして、紙で包んだお土産をくれました。
サンパウロで採れる、綺麗な石でした。石は、キラキラと、純粋に光っていました。


翌日、次の仕事先サン・フランシスコへ発ちました。
空港で、見送りに来て下さった一人一人とハグして、
先生が泣いたら格好悪いのでそれだけはしまい、
と涙をこらえて、目一杯の笑顔で手を振りました。


〜正派ブラジル箏の会の仲間達へ〜


皆、ありがとう。
今回、皆と過ごした時間を僕は絶対に忘れないし、
必ず又、皆と音楽をする為にそこへ行きます。
次会うときまでに、お互い一杯苦労をして、一杯失敗もして、
今より立派になった姿で再会しましょう。

僕は今まで、音楽というものは、
愛と感謝で生まれるものだと思って生きてきました。
でも今回、愛と感謝は、
綺麗な心から溢れ出す感情なんだということを、
皆から教わりました。
ありがとう。

体に気をつけて、幸せな毎日を送って下さい。


※日記更新9月8日現在、雅楽之一は無事アメリカの仕事を終えて、
 帰国の途につくところです。
 すっかり連絡が滞りましたこと、お詫び申し上げます。

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2009/8/21 残暑お見舞い申し上げます

少し、秋らしくなってきたような気がします。


先月ある日、恩師・森雄士先生に


「先生、私、この夏はヨーロッパへ行かなくなりました。
 8月もお稽古よろしくお願い申しあげます。」


と申しあげると、

「あらそう。それならたまには、ゆっくり食事にでも行こうよ。」

とお誘い頂き、つい先日、夕食をご一緒させて頂きました。
先生と奥様と私の三人、勿体なくも、素敵なディナー・タイムでした。

記念に写真を一枚掲載させて頂きます。

森先生は、親族以外で初めて、私に厳しく芸を叩き込んで下さった方です。
私は先生の素晴らしい才能と音、
そしてあたたかいお人柄とに育まれて今日の自分があると思っています。
勿論、私もまだまだ勉強の途中ですが。
これから、先生への御恩をどのようにお返ししたら良いのかわかりませんが、
ただただ、先生には感謝 の気持ちが絶えません。

さて、もうすぐ私は自身初の南米上陸となる、ブラジルへ出発します。
この度は演奏会の出演と、試験の審査委員を務める指令を与えられています。
私と、母と、楽器屋さんと3人でブラジルへ行きます。
聞くところによりますと、
ブラジルでは沢山の若い人達が箏を勉強している様で、
頼もしく、嬉しく思います。
一人一人と触 れ合って、一人一人の才能とやる気を大きく包み込んで、
活力を生む滞在にしたいと思っています。
ブラジルでの仕事が済みますと、
私は一人アメリカ西海岸に飛んで、
同じく試験と講習会、加えてお稽古の手伝い等をして、
8日に帰国する予定です。


久しぶりにアメリカの友人達に会えるのが楽しみです。


という訳で、なんだか慌しい日記になってしまいましたが、行ってきます。

最後になりましたが、残暑お見舞い申し上げます。
ブラジルかアメリカから、一度ご報告出来ればと思っております。

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2009/8/3 日本の夏にもの思ふ 

閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声

松尾芭蕉


4年ぶりに、日本で蝉の鳴き声を聞きました。
実に、我が身にしみ入る蝉の声、 といった様子です。
という訳で平成17年以来、日本で夏を過ごしています。
毎年同じことを書いている気がしますが、
私の人生は、8月はお休み。
演奏会も 、私の稽古場も、先生につけて頂くお稽古も、
基本的には全てお休みの月。
あるのは秋の演奏会の為の地方出張と、打ち合わせが少々というくらいです。


今年の本格的な再始動は8月の25日辺りから。
まずブラジルへ演奏会、
その後 サンフランシスコへ寄って、
9月8日に帰国します。
ヨーロッパ行きが中止になったし、
1日くらい気分転換しようかと思う今日この頃。
私、ここ最近「遊」んだ記憶がないのですが、
稽古場のお弟子さん達に突き動かされて、
9日に埼玉県某市でバーベキューをすることになりました。
バーベキュ ーなんて、いつ以来だろう…。
何を用意したらいいのかもよくわからないですが、
普段、芸と向き合う弟子と師匠という関係を忘れて、
楽しめたら良いなと思います。


久しぶりの日記なので、もう少し書きます。話変えます。


私、美しい芸術に触れる度に、


「あぁ、幸せな芸術家って、いないな。」


と、よく思います。
あんまりこういう発言をして愚痴っぽくなると困りますが 、
芸術って、というのか、「日本の美」って、
厳しさと華やかさだと思います。
日光市にある華厳の滝がその美しさを示しているように、
美は、音楽も画も景色も言葉も、
「華」と「厳」が「美」 を支えていると感じます。
華やかさ、厳しさ、美しさと向き合う中で
幸せを感じる機会は少ないですが、
我人生は先生方、先輩方、後輩、仲間達、
そして家族の存在に人間として励まされることが多く、
そういう意味では自分は幸せな奴だと思ってます。


私の芸術家人生がこれから先どのように発展し、
どのような結末を迎え、
後世の為に何を残してゆけるかわかりませんが、
自分が生きている間のことだけを考える芸術活動でなく、
次の時代の人達に光を照らしてゆけるような、
寿命の長い芸術を残していきたいと思います。


それが私の芸術家としての、燃え尽きる生き方です。

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2009/7/15 新幹線の車窓から

スケジュールにあった20日からのヨーロッパ遠征を、中止致しました。

日本を離れ難い事情が重なり、決断しました。
ヨーロッパへは、段々と日本生活の密度が高くなるにつれ、
簡単に出掛けられなくなりそうです。
まぁ、私の場合、ヨーロッパにいて芸が向上することはないですし、
特に勉強したいことがある訳でもなく、
これはあくまで自分の感性と精神の問題なので、
優先順が下になるの は当然であります。
音楽をする為に、感性や精神のバランスは重要なのですが・・・。


今月は名古屋、京都、広島と、新幹線沿線に縁が多く、
よく新幹線に乗りました。
新幹線に乗る時、期待するのは、
大地にそびえ、天に向う富士山を見ること。
富士山を見ると、大きな力を貰える気がします。
ところがさすがは日本一の山、そのお姿は雲隠れする時が多く、三
回に一回くらいしかお目見えしません。何とも 幻想的な現象です。
でも、楽しみはもう一つあります。
豊橋と三河安城の間くらい、南側の窓から一瞬見えるのですが、
山の上に大きな弘法大師のお姿が見えます。
私の父の郷里は愛知県蒲郡、
そこは私が小さい頃は毎年遊びに行った思い出の地なのですが、
大きな弘法大師様は町の象徴でした。
亡くなった祖母がよく、「弘法様、弘法様」と言っていたのを、
今もたまに思い出します。
弘法様はお天気に関係なく見られますが、
見えるチャンスが一瞬なので、
意識していないと簡単に逃してしまいます。
山頂に佇む弘法様の哀愁を帯びたお背中を見ると、
思い出が一杯で、堪らない気持ちになります。


全国各地へ行き必要として頂ける方のお手伝いをし、
合わせて30歳になった自分を省みますと、
本当にもう言い訳の出来ない時期に入ったと思います。
少しずつ環境を整えて、
来るべき時がきたら私は一目散に走ると思います。

私の、生きる上で理想とするところ、
それは「流れ星のように人生を駆け抜ける」。
大きな広い広い宇宙のリズムの中に溶け込んでいくような、
そんな芸術、そんな音楽、そんな心で生きていたいと思います。

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2009/7/1 私は少しずつ、動きます。

お陰様で、雅楽之一稽古場も、
お弟子さんはじめ、色々な方が毎回御挨拶に見えて、
少しずつではありますが、
私が作りたい環境に近付いていると思います。
芸を志す者はまず何よりも謙虚でなければなりませんが、
私は正派邦楽会の中心人物であるので、
自らの志(こころざし)には自信をもって突き進まねばなりません。
日本伝統芸能の品と格を損なうことなく、
正々堂々と大きな目標に向って参らねばなりません。
私の稽古場は、
私がやらんとする活動の核となっていくであろう環境なので、
お弟子さんの才能共々、
大切に育んでいきたいと思っております。
今は、私と番頭と二人で稽古場の切り盛りしていますが、
近い内に、ご意見番を一人任命しようと考えております。
ご意見番には優秀な先輩を起用し、
稽古場全体の監視と鋭い助言をお願いしたいと思っております。
弟子諸君はこの日記を見て様々に思いを巡らすかもしれませんが、
心配しないで、どうか私を信じて付いて来て下さい。

少子化であるとか、人気低下であるとか、組織の在り方であるとか、
今日の邦楽界は様々な問題が山積しているといいますし、
私も了解している業界の欠点は多々ございます。
でも、邦楽界に明るい未来はあると思います。
私は、勉強をしたいと情熱を持った日本伝統音楽の愛好家一人一人を大切にし、
世の中で活動していけるだけの芸と精神を磨く指導者として、
又、当人として買ってでも苦労をし、
師匠の教えの下日々勉強をして参りたいと思います。

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2009/6/17 人間の真価

ここのところ、
正派邦楽会会員に訃報が相次ぎ、
急遽予定を変更して、
お別れをしに度々地方へ出掛けています。
昨日も、お世話になった先輩の御葬儀に参列する為、
新潟へ行きました。
素晴らしい音楽家であった先輩は64歳逝去 、
志し半ばの旅立ちは、
後輩の私にとりまして残念でなりません。

お別れの儀に参列する為
早朝に東京を出発した家元と私の二人は、
葬儀が始まる10時を少し過ぎた頃会場に着き、
係の方に最前例に通して頂いて、
先輩の微笑む遺影と対面しました。
御遺影を見ると、人は、在りし日の姿を偲ぶものです。
私が一番心苦しかったのは、故人にはお母様がご健在で、
葬儀に参列されていた事です。
88歳になる体の小さなお母様は
家元と私の姿を見るなり遠くから会釈、
お母様は葬儀の最中、
一滴も涙を流す御様子はなく、淡々と、
丁寧に愛娘を見送っておられるように、
私には見えました。
何とお強い方かと恐れ入りました。
葬儀は滞りなく出棺となり、
家元と私は火葬場へ向かうバス の中へ。
バスの中で、たまたま家元が座った席の隣に
お母様が座っておられました。
小さな体をすくめるように家元にお辞儀すると、
家元がお母様の手をぎゅっと握りました。
するとお母様は、

「家元先生・・・有難うございます。」

と言って、溢れる涙をハンカチで拭いました。
家元も、何を言うでもなく、笑うでもなく、泣くでもなく、
うっすらと微笑んで目に涙を浮かべるその姿は、
愛と感謝と強さを兼ね備えた人間の真価を見ました。
私も思わず胸が熱くなって、
窓の方を向いて目を閉じ、
今一度故人の冥福を祈りました。


私には、家元を継ぐ権利があるものの、
正直言って、その役目を担う自信はありません。
何故なれば、私は偉大な家元の心の大きさを、
一番近くで感じているからです。
愛と感謝と強さと、この3つが揃った時、
人間はいよいよ慈悲喜捨の精神に達して、
その名を後世に轟かせることとなります。

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2009/6/9 『奥田雅楽之一演奏会』報告

三十路に入りました。


気持ち新たに、勉強を重ねて参りたいと存じます。


札幌で開催されました、「奥田雅楽之一演奏会」は
お蔭様で盛会に、無事に幕を閉じることが出来ました 。
御来場のお客様、5108企画のメンバーの皆様、
助演の先生方には改めて、心よりの御礼を申し上げます。
ありがとう存じました。
お客様にお喜び頂ける会にしなければ、
務めは果たされないと覚悟し、
返す返すも決して自分本意の展開だけにならないよう気を付けながら
演目を組ませて頂きました。


結果、様々な御感想を頂く中に、
お喜び頂けたご意見は多くございまして、
ようやく胸を撫で下ろしました。
無論、反省材料も多々ありました。
自分はまだまだ未熟だと思いました。
又、こういう機会に恵まれました折りに、
今回の反省点を踏まえ、
よりお客様にお喜び頂ける舞台を作れるよう心が掛け、
改善に努めたいと 思っております。


写真を掲載しました。
会の様子を幾分か感じ取って頂ければ嬉しいです。

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2009/6/1 奥田雅楽之一演奏会

明日、札幌で「奥田雅楽之一演奏会」をさせて頂きます。


まさに20代最期の舞台となり、この十年間の修業を信じて臨む所存でございます。


この度の演奏会は、札幌の琴商の方々が
北海道の邦楽推進の為に立ち上げられた『5108(ことや)企画』さんの主催によるものです。

私は、「助演」は少しずつ数を重ねておりますものの、
「主演」となりますと経 験が浅く、私で務まるのかと自問自答を繰り返しますが、
会が近づくにつれ、覚悟が決まって参りました。


「よし。ここは一つ自分を信じて。一時間半番組で、奥田雅楽之一の世界を表現して みよう。」


と、何だか、いつになく妙に意気込んでいる自分がいます。


今までヨーロッパや東京で数々の舞台を経験、
そして観賞して参りましたが、私が、自分の舞 台はかくあるべき、と感じて参りましたことを、
今回の舞台で色々試してみようと思って おります。
演奏家、音楽家としてだけではなく、芸術家をしての真価が問われる機会だと覚悟をして、
5108企画さんと協力しながら、舞台作りに励みたいと思っています。


奥田雅楽之一演奏会


演目

・譚詩曲(バラード)

・四季の眺め

・春の海

・黒髪


助演:尺八・後藤双山、三味線:佐藤雅則


以上 でお届けします。


当日御来場頂きますお客様、心よりお待ち申し上げております。

心を込めて一生懸命 演奏します。
助演者の佐藤雅則大師範は、今回がとても大きな転機となるであろう、大舞台です。

暖かくお見守り下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

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2009/5/25 三十路を前に

※写真、少し更新しました。稽古場の写真です。


昨日は、東京都心、夜分に雷様がゴロ、ピカ、ドンとして、
又、タイムリーに私はDVDで落雷のシーンを観ていて、凄い臨場感、
映画ネバー・エンディング・ストーリーの少年状態でした。
(この比喩、解る人がいるか不安です。)

はてさて、相撲ファンなれば、触れておかねばならない話題があります。
大関・日馬富士、初優勝おめでとう!精神力で、横綱を勝りました。
素晴らしい15日間でした。
千秋楽の琴欧州との一番では、長身の琴欧州に右の腕(かいな)を返されて

「これはやばい!!」

と思った矢先に繰り出した捨て身の首投げ。
まさに大相撲史に残る鮮やかな首投げであったと思います。
事故で父親を亡くし、未亡人となった母を支え、
苦労に苦労を重ね勝ち取った天皇賜杯。
久しぶりに、目頭熱くなり、興奮しました。
これだから、大相撲ファンは止められない。


ところで、私、あと十日余りで三十路に達します。
実は朝青龍の一つ歳上です(笑)。
スケジュールにある通り、札幌で誕生日を迎えることになりそうです。
節目を迎えるにあたり、今日の自分があるのは、
沢山の方々の支えがあってこそ、と感謝と勇気が今一度沸き立って参ります。
お世話になった先生方、先輩方、後輩の皆さん、いつも有り難うございます。
今後とも、御指導をよろしくお願い申しあげます。
30歳になる今年は「稽古場開設」が第一の目標でした。

多くの方のご支援あって第一目標が早々に実現しましたので、
現状に留まらず、ちょっと動いてみようかなと思っています。

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2009/5/15 長崎

……という訳で、生まれて初めて、長崎へ行きました。

花柳流の舞踊「黒塚」があって、箏曲の地方として参りました。
黒塚といえば言わずとしれたオモダカ屋の猿翁十種の内一つ、
市川猿之助丈の演目ですが、
二世の花柳流家元が振り付けをなさった演目なので、
花柳流ではたまに黒塚が出るそうです。
今回は長崎でご活躍の花柳寿々初さんが舞って、
花柳流の家元、四世花柳寿輔先生 が総合演出という内容でした。
私も家元にお目に掛かかって、色々とお話を伺わせて頂き、
良い勉強になりました。

初上陸の長崎は、歴史がありました。
土着の文化の中に、外来の文化が忽然と在ったりして、
相互が一体となっているような、なっていないような、
函館や横浜や神戸のように、街全体が港町独特の雰囲気を有していました。
私は『海』派か『山』派かで言えば、山派人間なので、
直前に訪れた長野の山奥の方が肌に合った気がしますが、
海に向いている土地は、住む人間の性格が開放的なのと、
あと、漂う空気感が温かいところが好きです。

今年はお蔭様で色々な土地に行かせて頂いております。
8月には、初のニューヨーク、
さらにはブラジルへの遠征も決まり、
心の準備が忙しいです。
ニューヨークでは、
Jazz愛好家の本領を発揮すべく、「徹夜でジャズ・バーに入り浸る」、か、
「ヤンキース・スタジアムでベースボール観戦」、
のいずれかの念願を果たすべく、
一 晩限り青春を味わってみようかなと、今から胸を高鳴らせています。

今月は18日に名古屋へ日帰りする予定ですが、あとは東京におります。


こういう時こそ、お勉強の時。


27日に恒例のファミリー・コンサートがございます。
私の出演曲は、自作の「譚詩曲(バラード)」です。

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2009/5/8 ドレスデン、戸隠、長崎

ドイツのドレスデンに大好きな教会があるのですが、
教会の裏手がいわゆる森になっていて、
森に入っていく階段があって、
今まで特に気にしてはいなかったのですが、
友人が、是非行ってみると良いと言うので、
イースターの教会見物の後、森へ続く階段を降りてみました。
階段を半分くらい降りると、
チョロチョロ川の音がして、緑の香りがして、
作曲で強張った体中の筋 肉がスゥーーッと休まる実感がありました。
私はその森が気に入って、教えてくれた友人を誘って、
後日もう一回、行きました。
その時の写真を掲載します。

新型インフルエンザが世界中を席巻している今日この頃ですが、
私はそれもどこ吹く風で元気にやっております。

2日に奈良へ日帰り、
3日が「雅楽之一稽古場」の稽古日、
4日が東京で演奏会、
6、7日が長野県にある戸隠神社で奉納演奏、
8日〜11日までが舞踊公演の為長崎遠征という
私の平成21年版GWですが、
時間が無いなら無いなりに、遠征先で楽しく過ごしています。

7日の戸隠(とがくし)神社奉納演奏について少し書きます。
7年(実際は6年)に一度の善光寺御開帳と時期を同じくして、
由緒ある戸隠神社にも式年大祭というのがあります。
私の母方先祖に戸隠の縁があり、
12年前から私達は戸隠の神様に演奏を奉納をさせて頂くことになりました。
善光寺から車で40分くらいでしょうか 、
延々ひたすら山道を上がって、
標高1000メートルの地に戸隠神社があります。
上へ上へと上がってゆくと、
自ずと神聖な気持ちが湧いてくるのは、
気のせいでなく、
日本のご先祖様が「山に神あり」と解いた気持ちが、
何だかよくわかりました。

その日はあいにく極寒の気候で、
年輩が多かったこともあり私は一人でやきもきしましたが、
無事に奉納演奏が済み、
逆に身が引き締まる思いで神様に演奏を奉納させて頂けたと、
皆言っておられました。
今回は特別に、戸隠に縁の深い、
人間国宝の米川文子先生にお越し頂き、
御献奏をうかがえましたこと、
大変有り難く存じました。

今日から、長崎へ行ってきます。
実は私、生まれて初めて(多分)、長崎へ行きます。
今回は空き時間もありそうなので、
色々見物してみようと思います。


では、又、次回の更新でお会いしましょう。(笑)



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2009/4/10 帰国

帰国しました。
ただいま。


久しぶりに、スケジュール更新しました。ご覧になってみてください。


今回の遠征中、一年くらい前から取り組んできた自作品が、
ようやく完成致しました。
ヨーロッパで約二週間、オペラ観賞以外はほぼ缶詰状態の、
半不眠不休で書き上げました。
現在の東京生活では不可能に近い
外界を全くシャットアウトした世界に身を置いて、
唯「音」と向き合うという・・・幸せですが、
ちょっと孤独な作業に 没頭して参りました。
さて、実に前作「バラード」依頼、三年ぶりの自作品となります。
今回は、少し大きな曲になりました。
題材は日本神話「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」で、
今回は唄と三味線(長唄?)が入り、箏が入り、お囃子も入ります。
まだ御依頼主にお聞きかせしていないので、
お気に召して頂けるかはわからないのですが、
我なが ら今回は、”天上の世界観”を造ったという自覚があるので、
多分、この作品を気に入って頂けると思っております。
まだ先の話になると思いますが、
初演が決まりましたら、必ずこちらのページで御案内させて頂きます。


私の作曲方法は特殊で、細かいメモはあるものの、
曲は、すべて私の頭の中で組み立てられていきます。
よって、完成した段階ではまだ楽譜が存在しておらず、
それを楽譜に書きおろし、誰かに勉強してもらって、
ようやく音楽となってこの世に生まれてきます。

音になる段階まで運びましたら、
稽古場で新作視聴会をしようかと思います。
お弟子さん達の率直な感想を聞き、
曲にとっても、自分にとっても、
良い方向に導いてもいたいなと思っております。

今週末から、いよい演奏会遠征が始まります。
富山、奈良(これは下合わせ)、東京、長野、長崎と周って、
5月末のファミリーコンサートに臨むことになります。



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2009/4/10 ドイツより

無事、ドイツに着きました。
北朝鮮のミサイル問題で
色々と心配された今回のフライトでしたが、
予定通りに飛び発ち、ちゃんと定刻に到着しました。
今年に入ってからというもの、
多忙な日本生活を送っておりましたので、
こちらに来て、気持ちを整理しています。
色々、反省することばかりが心に残っています。
私は日本人なので
ヨーロッパに来て自分を取り戻すというのも滑稽な話ですが、
こちらにおりますと、
日本生活のように多面的でいる必要がないので、
目が覚め、
ご飯を食べ、
外を歩き、
眠るという行為を、
ごく自然にしております。
毎日、作曲をしています。
今回は、作曲すること以外、何も考えていません。
こういう姿勢で生活してみますと、
自分にとって、
これ以上ない幸せな時間を送っていることに気がつきます。
ああやっぱり、僕は作曲が一番好きなんだと、
作曲は僕にとって音楽を愛する最高の手段なのだということを、
強く感じています。
作曲家を夢見ていた10年前を思い出します。
国際通話が可能であった私の携帯電話が、
機種変更をして、
国際使用不可になってしまい(確認しなかった自分が悪い)、
パソコンも滅多に見られない状況なので、
基本的に音信不通になっております。
日本に仕事を残した状態での音信不通は不安ですが、
こうなってしまうと却って踏ん切りがついて、
作曲に集中出来ています。
文明の利器、いわゆる「便利」は、
人の才能を奪うというというのは、本当だと思います。
今回は、私の最も好きな曲の5本の指に入る内の二つ、
バッハの「マタイ受難曲」と、
ワグナーの「パルジファル」を、
観賞する機会を得ました。
こうして、いつまでヨーロッパに通えるのかわかりませんが、
通える内に、心に留めておきたい景色を音楽が、
まだまだ沢山あります。



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2009/3/27 年度末

お久しぶりに日記を書きます。

前回の日記でご紹介したデーモン小暮さんとの舞台『春琴抄』、無事に終えました。

私も力不足ながら、とりあえずの務めは果たせたかと思っております。

客層も様々、台本を見ながらの進行、色々な意味で、大変良い勉強になりました。

私のような音楽馬鹿、芸術馬鹿の世間音痴にも、
少なからずこういう舞台経験は必要かと考えさせられます。

桜が開花しました今日この頃、三月末は地方遠征が続いております。

19日から22日まで、演奏会出演の為、広島に滞在。
又、24日から26日まで、こちらも演奏会出演の為、北海道に滞在。
29日は日帰りで富山県に出張です。

年度末のこの時期は毎年色々ございまして、
東京ではビクター発売CDの収録があります。
今年は家元と二人で『乱』の本手、替手を収録します。
私が替手でお 相手務めさせて頂くこととなり、
身が引き締まるような心境で勉強しています。
先輩方に失礼にならないよう、恥ずかしくない演奏をしようと思います。



4月6日から、18日までヨーロッパに参ります。
又、8月末にはブラジルへ遠征することが決まりました。
追ってスケジュールに掲載致します。



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2009/3/4 デーモン小暮閣下

お仕事の打ち合わせで、デーモン小暮閣下にお会いしました。
私にとってのデーモンさんは、やはり相撲通の印象。
初場所の大相撲中継では正面ゲスト解説で登場、
その鋭い突っ込みには驚かされます。
私も三度の飯の次くらいに相撲が好きなので(笑)、
お知り合いになれて大変嬉しく存じました。


デーモンさんと、谷崎潤一郎の『春琴抄』をテーマにした舞台が、
横浜みなとみらいホール、ホールの主催で企画されて、
春琴役に業界の先輩である藤井昭子先生、
師を敬愛する佐助の役に私奥田雅楽之一(※演技はしません)、
それから尺 八の三橋貴風先生は企画の段階から携わって、
色々と舞台の為に尽力なさっておられます。
当日演奏する曲目と台本は事前の打ち合わせで頂いていたものの、
いまひとつ実感の沸いて来ず、不安にかられていましたが、
先日の総ざらい稽古でようやく舞台の全貌が明らかになり、
舞台展開は承知したものの、
果たして無事に務められるものかという不安が尚一層募りました。
当日は集中して、精一杯頑張ります。



デーモンさんは、とても礼儀正しく、謙虚なお人柄、
そしてユーモアがある素敵な方、
それから、沢山苦労をしてきた方だと思いました。
邦楽人口の減少が問題視される中、
デーモンさんのような視野の広い方の力をお借り出来るのは、
大きいように思います。
私も古典芸能に携わる者の一人として、
普及活動に力を注ぐ必要性を感じ始めています。
「奥田雅楽之一稽古場」は、順調に活動しています。
12日は朝の9時から21時まで通し12時間のお稽古です。
稽古場を開いた者として、冥利に尽きる大変有り難いことと、
感謝の気持ちで一杯です。
勉強に来て下さる方々のお役に立てるよう、
私も勉強を重ねて正しく道を照らします。


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2009/2/13 奥田雅楽之一稽古場落成

新しい稽古場での初稽古が済みました。


本当に沢山の方々にお越し頂き、
又、沢山の方々からお心遣いを賜りまして、大変有り難う存じました。
さっそくですが、稽古場の様子をPHOTOに載せましたので
ご覧になってみて下さい。

奥田雅楽之一稽古場は、二つの部屋に別れています。

手前21畳の大部屋で稽古、奥の6畳間は待ち合い室になっております。
私は休憩時間以外、終日大部屋で稽古をし、
待ち合い室では相棒の田辺君がお客様や門人達とお茶をしながら談笑、
という形態です。
つまり、二つの部屋は全くの別空間になっています、
というより、何だか自然にそうなってしまいました。(笑)
稽古場としての当面の目標は、門人達が勉強のし易い環境に整えていくこと、
それから門人達に演奏の場を与えていくことだと思っております。
清々しく、厳しく、和やかな環境作りを心掛けて参ります。
お一人でも多くの方にお立ち寄り頂けますことを、心より願っております。
御来場をお待ち申し上げます。


※長根雅楽悠美先生へ

この度は、結構なお品を頂戴致しまして、有り難うございました。
大切なお弟子さんをしばしの間お預かり致します。
正しく導いて、芸を磨いて、先生のところへお返し出来るよう精一杯頑張ります。
今後とも、お導きを宜しくお願い申し上げます。


※佐藤雅則さんへ

昨日は有り難うございました。お世話になりました。
佐藤さんとは、思い掛けずと申しますか、男同士の強い御縁に結ばれました。
佐藤さんが東京にいらっしゃる間に、
私の出来得る限りのことをさせて頂きたいと思ってます。。
これからもよろしくお願い申しあげます。


※河野先生へ

目の覚めるような素晴らしいお花、お稽古の玄関に飾らせて頂きました。
有り難うございました。
先生には様々な面でお力添えを頂き、大きな御恩を感じております。
来月の演奏会、良い会なりますよう、お手伝いさせて頂きます。
雅晃君のことは御心配なく、彼は大成します。


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2009/1/29 奥田雅楽之一稽古場

謹んでご報告申し上げます。
私奥田雅楽之一、平成21年2月11日建国記念の日に自らの稽古場を定めて、
正式に門を構えることに致しました。
予てより、いずれ自分が稽古場を持つ時がきたら
先代家元の時代から縁の深い市ヶ谷亀岡八幡宮で
お稽古をさせて頂きたいと心の中に温めておりました。
この度、八幡宮宮司様にその旨をお願い申し上げてみたところ、
あたたかく御快諾のお返事を頂き、
念願叶って亀岡八幡宮の一角を使わせて頂けることになりました。
天国の家元にも、幾分か胸を張って報告が出来るような心持が致します。

今後は『奥田雅楽之一稽古場』として、
私が唯是震一、中島靖子両師、恩師である森雄士先生、諸先生方に
お習いしてきたことの一つ一つを後輩に伝え、
正しく弟子を導き、私自身も、
「教えることは二度習うこと」 の格言に習って
引き続き芸の修業に励んで参ります。

諸先生、諸先輩方々には、尚一層厳しく、
今後ともあたたかくお見守り下さいますよう、
よろしくお願いを申し上げ、開軒のご挨拶とさせて頂きます。

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2009/1/6 平成二十一年、明けましておめでとうございます。

旧年は、当ホームページを通じて
沢山のご意見ご感想を頂戴し、有り難う存じました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
本年は丑年、十二支の内で私が一番好きなのが丑ということで、
大変縁起のよい正月を迎えているような心持ちでおります。
さっそくですがスケジュール欄に、
平成二十一年の演奏会および遠征予定を載せておきます。
現時点での記載なので今後の変動もあるかと思いますが、
一先ずの予定を、お見知りおき下さいませ。

さて、本年六月には私三十路に達するに際しまして、
ぼちぼち世の為人の為に貢献したく、動き出してみようかと思っております。
まず、奥田雅楽之一稽古場の開設でございます。
私も偉大な先生方にお習いしてきましたことを、
一人でも多くの方に伝えていかなくてはならない責任と
義務を常々感じておりましたが、
ようやくそれを実現する時がきました。
開軒に向けて今、着々と準備を進めているところでございます。
場所、内容、運営方法、目的、ひいては 道場の命名等、
検討する材料は山積でございますが、
一つ一つ決めて、近々ホームページ上で発表させて頂けると思います。
私の道場から一人、又一人と演奏家、
専門家を世に送り出していくことも大切ですが、
何より、音楽を通じて老若男女、和洋を問わず、様々な音楽家と交流をし、
音楽を通じて一つの「和」を築いてもらえれ ばと、
強く願っています。

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All right reserved. 2009 (c) Utanoichi Okuda