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奥田雅楽之一の日記です
週一回更新の予定です

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2010/12/29 一年の 感謝

平成22年、西暦2010年が間もなく暮れていきます。
新年に備えまして、プロフィール・ページを一新してみました。
更新した写真と合わせまして、御笑覧下さいませ。

本年は、振り返ってみますと、
当方にとりまして実に成果ある一年だったと思います
(自分で言うのも何ですが)。
又、大変であった分、沢山の人のお力添えをいつも以上に感じながら、
一日一日を送って参りました。
いつも最後に残りますのは、感謝、感謝、感謝。
一年間大変お世話になりました。
恵まれた環境で音楽道を歩む私にとりまして、
確かに重圧や責任の大きさは少々あるかもしれませんが、
何と申しましても私はやはり恵まれている人間なのです。
思い上がりがちな自身の性格と芸に対し、
いつも厳しく御指導して下さる沢山の先生、先輩達、
それから尽力してくれるお弟子さん達に囲まれている私は、
本当に幸せ者です。
人一倍幸せな分、人一倍の苦労をして、
人間として少しずつ成長して参りたいと思っております。

本年もありがとうございました。
又来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
来年は卯、干支は唐卯です。
さようなら、トラさん。また12年後に会いましょう。
皆様の御健康と御多幸を祈念致しまして、
本年最後の日記とさせて頂きます。 
よい年をお迎え下さいませ。

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2010/12/24 メリー・クリスマス 2010

久しぶりに日記を更新しています。
11月15日のル・テアトル公演の様子を、
梅津流オフィシャルサイトとリンクさせて頂きました。
写真のページからジャンプしてみて下さい。
梅津流御家元の舞、朝倉摂先生の舞台美術など、当日の様子がよくわかる、
素敵なお写真かと存じま す。

20日に東京芸術大学の現教授でいらっしゃる
安藤政輝先生のリサイタルがございました。
宮城道雄の箏手付け(古典を編曲した)作品三つ
「尾上の松」「こんかい」「水の玉」を
取り上げた注目の演奏会であったかと存じます。
特筆すべきは、今まで余り世に出なかった「水の玉」が
この度公の場で再演されたことでしょうか。
私も、若輩で ありながら賛助の立場で出演させて頂き、
森雄士先生のお隣で「水の玉」を弾かせて頂いて、
勿体ないことでございました。
先生方に心より御礼を申し上げます。

ふと気が付けば、今日はクリスマス・イブ。
東京の街中はクリスマス・デコレーションで彩られています。
子供達は、確か冬休みを目前にしてのクリスマスですね。
最高のシーズン到来かもしれません。
もう子供でない私はというと、
一週間くらい前からくすぶっていた風邪が
この頃になって本領を発揮し始め、
薬の効力でボーッと 迎えるメリークリスマスです。
まぁ我が家は禅宗なので、
クリスマスだからと言って特別騒ぐこともないのですが、
私はクリスマスシーズンが大好きなので、お構いなく騒ぐのです。
どうか沢山の人に、沢山の家庭に、
新しい命と幸が生まれます様、お祈りします。
一年のご挨拶を兼ねまして、
年内にもう一度当ページの更新を出来ればと思います。

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2010/11/26 新作「木花咲耶姫」初演を終えて

新作「木花咲耶姫」初演の舞台が終わりました
当日のプログラムには、
松竹株式会社の大谷信義会長、辻井喬先生、朝倉摂先生から
お祝いのお言葉が寄せてあり、
会主の梅津流御家元からはご挨拶のお言葉がございました。
先生方はいずれも新作「木花咲耶姫」について触れて、
木花咲耶姫が今日まで歌にも舞にも取り上げられていないことや、
日本画家・安田靫彦、堂 本印象が描いた「木花咲耶姫」のこと、
この新作への期待や、
文中には若い奥田雅楽之一に作曲を依頼したことなども書かれてあって、
名実共に一流の人が綴る一言一句に、
私はすっかり圧倒されました。
日本語って、TPOを間違えると
とんでもないことになる危険な言語です。
私も祖父母の監視の下、
日頃から十分気をつけているつもりですが、
先生方のお言葉は礼儀正しくて、自然で、
でも印象的(ここが凄い!)で、
どうしてこういう文が書けるんだろうと思いました。

さて、肝心の本番。
とても緊張して、集中していたせいもあるかもしれませんが、
ほとんど記憶に残っていません。
全然覚えていないので、
ちゃんと演奏出来ていなかったんじゃないかと不安になるくらいです。
要するに、かなりのプレッシャーを感じていたのだと思います。
本番前、共演者の方々に「一生懸命演奏しよう。」と誓い合ったので、
その言葉を念頭に置いて、私は舞台に臨みました。
絶対に迷惑を掛けられない。絶対に失敗は許されない。
絶対に体調を崩してはいけない・・・。
重たい責任を担わせて頂いたのは音楽家として冥利に尽きますが、
今回の舞台は、私には大変厳しい試練であったと思います。
日頃からお世話になっている諸先生方の御支援、
お弟子さん達の協力、共演者の方の力沿え、
そして当日は大家の先生方の才能に囲まれて、
何とか責務を果たすことが出来た次第です。
本当にありがとうございました。
長らくお騒がせし、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

奥田雅楽之一、しばらくの間、作曲活動はお休みとさせて頂きます。(笑)


※萩岡未貴さんへ
この度は、お力を貸して頂いて、本当に有難うございました。
白と黒の下絵に彩りを添えて頂いたような、
未貴さんの明るく美しいお声が、
私の心と、木花咲耶姫の世界に強く響きました。
とても強く響きました。
この度、初めてご一緒することができて、
未貴さんのひいおじい様も、僕のひいじいちゃんも、
天国で乾杯し ているかもしれません。

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2010/11/10 新作『木花咲耶姫』について

今秋11月15日に新曲「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」を
『舞・梅津貴昶』の会で発表をさせて頂きます。
制作期間、実に2年・・・。
その歳月が、私の作曲能力の不足を物語っているところです。

今作品は梅津流家元の為の初めての新作ということもあって、
制作には一流の先生方が多く携わりました。
青二才の私には、先生方から沢山の御助言、
御指導があって貴重な経験を積みながら、
補作に補作を繰り返してようやっと完成した新作です。
2年前、兼ねてから御親交のあった舞踊家・梅津貴昶先生から、
詩人・辻井喬先生のお書きになった
『木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)』に音楽を付けてみては、
というお話がありました。
恥ずかしながら、
私はその時点で神話の木花咲耶姫について全く知りませんでした。
まずは古事記や日本書紀に関する資料を引っ張り出してきまして、
しばし神話の世界へ浸りました。
それから辻井先生の詩をよく読み込みんで、
少しずつ、時間を掛けて曲の構想を膨らませました。
作曲家の故・武満徹が言っていました。
作曲は一番最初、「入口」が肝心であると。
それはおそらく、建築も絵画も料理も、
物を想像する人はきっと皆同じで、
入口が見付かったら、
パッパッパッと建築されていくものなのですが、
今回は入口を見つけるまでに、
結局一年近く掛りました。
(ちょっと、掛かり過ぎですね)
余り舞台裏を明かすと格好付けみたいになるので嫌なんですが、
と前置きしておいて。
ある日、私は一度、頭を真っ白にして、
ゼロ地点に戻ろうと思いました。
私は大好きな伊勢神宮にお参りに行った時の、
早朝の、朝靄の中の空気や、
玉砂利の音や、五十鈴川の清らかさをよく想って、
あっ、とひらめいて、スケッチしてみら、
結果的にそれが入口(テーマ)になりました。
それが状況の打開に繋がって、
それからは曲は順調に構築されて、やがて完成に至りました。
私は、小さい頃から作曲家になることを夢見てきた訳ですが、
20歳を過ぎて家業である筝の勉強に励んで以降、
作曲をするところまではとても考えが及ばず、
次第にその情熱がなくなっていきました。
しかし、私の眠れる情熱や、
可能性をこの度見出して頂いてこのような機会を頂けましたことに、
今、心から感謝してい ます。
以下参考までに、7月31日付、
東京新聞の記事を転載させて頂きます。

「素踊りの名手、梅津流家元・梅津貴昶(たかあき)が
 十一月十五日午後六時から、東京・ル テアトル銀座では初の
「舞 梅津貴昶」公演を開催する。
 歌舞伎舞踊、地唄舞など四百曲以上に及ぶ振り付けを手掛ける梅津が
 地唄「葵の上」「雪」の名曲二題に、
 初めて自身のための新作「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」
 (作詞・辻井喬、美術・朝倉摂、作曲・奥田雅楽之一)を掲げての公演。
 テーマは静かな「舞」の表現の追求だ。
 一九八五年に歌舞伎座で梅津流発足記念、
 第一回「梅津貴昶の会」で初代家元襲名以来、
 同座で公演を続けてきたが、建て替えで変更を余儀なくされた。
 「歌舞伎座でできないこと」をバネに三年の公演計画を立て、
 第一弾が今回の「舞」、来年は「踊」、
 再来年は「舞踊」のテーマで舞・踊の神髄を追求したいという。
 二十四歳から素踊り一筋。そぎ落とし、
 清冽(せいれつ)な美に迫る至芸。
 「舞っている姿を自分では見ることができない。
 その孤独、だから終わりがないのかもしれません」
 「雪」は歌舞伎座、能楽堂など、
 パリ公演でも舞ってきて今回で五回目。
 斬新な構成で、恋しい人を待ちわびて
 雪の一夜を回想する名妓(めいぎ)の哀しみを表現する。
 「葵の上」では嫉妬(しっと)に身を焼く愛憎を、
 神話で桜の神とたたえられる「木花咲耶姫」では神秘を描く。
 三作品を通して、
「人間の持つ 本源的な情念、哀愁、神秘性を舞い分けたい」
 と意欲を見せる。

演奏は、唄、紅一点、山田流の萩岡未貴さんをお迎えし、
筝は奥田雅楽之一、田辺雅震翠、村社雅美彌、今回は男三名で臨みます。
梅津流御家元の舞、朝倉先生の美術、辻井先生の言葉、
そして当方の音楽がどういう空間を作り出せるか、
初演ならではの緊張感、
醍醐味を噛み締めているところでございます。

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2010/10/28 恩師と共に

私の恩師・森雄士(もりゆうじ)先生は、
宮城道雄先生の最後の愛弟子です。
先生は山形の酒田でお生まれになり、
幼少の頃に失明されて、
間もなく筝(こと)の道を志すこととなって、
山形で材木屋を営むお父様に連れられて上京、
宮城道雄の門を叩きました。
ちょっと余談になりますが、
今現在の牛込にある宮城邸は、
東京大空襲で一度消失してしまったのですが、
その際に森先生のお父様が必要な材木の一切を寄贈し、
再建することが出来たそうで、
つまり、今の宮城邸は、山形の方の材木で出来ているものと思われます。
森先生は他のお弟子さんと同じ様にお稽古に通い、
おさらい会に出て少しずつ経験を積み、
それから、楽器を運んだり、
箏の糸を締めたり(これは中々の重労働なんです)、
誰もが通らなければならない道を通って、
一人前の筝曲家に成長してゆかれました。
成長した森雄士は、宮城道雄の側でお仕事をするようになりました。
その日に演奏する曲をその日に楽屋で習うような、
今では考えられない無茶ですが、
そういう活気のある中で音楽生活を歩まれたそうです。
森先生は宮城先生の曲をお稽古やレコードで聴いて
ほとんど全て覚えていたので、
たまに知らない曲が回ってくると、宮城先生が
「え?森君、知らないの?」
と逆に不思議そうな顔をするほどの優等生であったそうです。

唯是震一とは、お互いがまだ若い頃からのお付き合いなんだそうです。
祖父から、こんな話を聞いたことがあります。
ある日ある時、宮城先生のお宅にお稽古で伺った際、
一人、ぽつねんと部屋に座っている森先生に遭遇。
「森君、唯是です。」
「あ、唯是さん。」
そこで、何ということなく
お互いが今までどんな曲を習ってきたか話し合っていると、
祖父が習った宮城先生の曲の中で、
森先生が未だ知らない曲が幾つかあって、
「唯是さん、もしよかったら、今、ここで教えてもらえないですか。」
祖父が了解してサラっと一度弾くと、森先生は聴き入ったそうです。
「森先生は、私の演奏を聴いて、一回で覚えたよ。」
と祖父が言っていました。

それから以前、祖母は、こんなことを言っていました。
「天才モリユウジの名は、若い頃から噂で聞いてたわ。」と。

宮城先生が不慮の事故でお亡くなりになって、
その後、紆余曲折があって、結局森先生は宮城会から出られ、
一時とても難しいお立場になられたこともあったでしょうが、
唯是震一、中島靖子と良き友人関係で続いてきたご縁が、
私が先生の許へ通う御縁へと繋がりました。
私が森先生に弟子入りしましたのは、今から7年ほど前のことです。
胡弓のご指導をはじめ、
三味線や箏や、色々な曲の色々なことをご指導頂き、
音楽のことも沢山教えて頂きました。
別に今の自分に満足しているという意味ではありませんが、
先生の御指導なくして、今の自分は有り得ないと思っております。

そんな森先生の、リサイタルが11月7日にあります。
そして、私も先生からお声を掛けて頂き、
同会に出演させて頂くこととなりました。
憧れの先生に対し、一弟子と致しまして光栄と恐縮の極みですが、
先生にご迷惑をお掛けすることのないよう、一生懸命勉強しています。
恩師とご一緒出来ます又とない機会です。
先生 に、心から感謝しています。

11月7日のプログラムに、こう書いてあります。

「恩師 宮城道雄 に捧ぐ」 森雄士筝リサイタル

私は、私の持っている全てを、
恩師の森雄士先生に捧ぐこと、一心であります。

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2010/10/14 二つの尾上の松

作者不詳の三味線の名曲で、『尾上の松』という曲があります。
この曲、古くは 九州から伝わってきたと言われますが、
昭和になって宮城道雄先生が箏を付けて発表して以来、
業界で知らない人はいないくらい流行しました。
「宮城さんは 古典を知らない。」
と風潮されて、それにカッとなった宮城道雄が、
三味線の曲 にババババッ!と箏を手付けしたら、
歴史的名曲になってしまった、という逸話があります。
その、尾上の松。
尾上の松は、私は祖母から箏を、祖父から三味線を習いまして、
後に恩師の森先生から箏も三味線も厳しく御稽古をつけて頂きました。
本年は、偶然芸術の秋シーズン内に、
三味線と、箏と、両方を演奏する機会に恵まれました。
一回目は9月20日、紀尾井ホールにて、山本邦山先生の尺八と、
同世代の安藤珠希さんの箏で、私が三味線を。
二回目は10月15日、同ホールにて、
故藤井久仁江先生の御長女、藤井昭子先生の三味線で、
私が箏を務めさせて頂くという舞台です。
いずれも他流派の方との演奏、
業界用語で他流仕合(たりゅうじあい)と申しますが、
寸法や間の取り方など、
慣れない運びに不器用な私はすっかり困惑しております。
しかし何より、他流派の先輩の胸を借りられます事は、
大変有り難い勉強の機会であります。

つくづく感銘致すところですが、
宮城先生のこの素晴らしい箏の手付けは、不滅であると思います。
古典を隅から隅まで芸に刻み込んだ宮城先生の底力と、
持って生まれたセンスの両方が凝縮された手付けです。
私にとって、厳しい舞台が続きますが、
私の見上げる眼差しの彼方には、いつも宮城先生のお姿があって、
祖父母や、恩師の森先生の師である宮城道雄先生の存在が、
私にいつも敬謙な気持ちを呼び覚まし、
ある瞬間、 無限大の力を与えて頂きます。
これは信仰なのか、尊敬なのか、はたまた愛なのか、希望 なのか。
一体何の感情なのか筆舌に絶えませんが、
私は先生の存在にいつも感謝しながら、
楽器の前に座るようにしています。

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2010/10/1 お気楽邦楽

私にしては珍しく、あるプロジェクトの実行委員になりました。
横浜のランドマ ークタワー内、ランドマークプラザ一階、
ガーデンスクエアという場所で、箏や尺八を演奏してみましょう。
そうい う企画(勿論事前に許可を取ってあります)が立ち上がりまして、
この度その実行委員(アートフェスティバルにっぽん日和)に入らせて頂きました。
当企画、題しまして『お気楽邦楽』と、名前があります。
お買い物やデートや、仕事で訪れている人々に気楽に邦楽を聴いて頂きましょう。
という意図で行われます。
日時は10月2日、3日。両日共に各30分の6回公演で、
1時、2時、3時、4時、5時、6時に演奏が始まります。
出演者は全員若手の演奏者ばかりを5人選びまし た。
全員私より年下の、本当に若手です。

古典芸能を志す人が減ってきた今日のこの世の中にあって、
将来の存続と繁栄への不安がしばしば囁かれています。
良いもの、確かなものは必ず残るという今日までの歴史があるとはいえ、
楽観的に考えられるほど、前途の明るい世界ではないと私は思ってます。
ですから、こういう今だからこそ、
何か、新しい動きを起こ していく必要があるのです。
そう。そういう訳で、私はぼちぼち普及活動に本腰を入れていきたいと思っています。
今回の「お気楽邦楽」も、私のそういう熱意が秘められています。
お時間の都合がつく方は、フラッとお出掛け下さい。
2日は私は同じ横浜の違う場所で会があり、
そちらにいてランドマークへは伺えませんが、
3日 は、5人の若々しい演奏を楽しみに聴きに行こうと思っています。

私と同じ時代を生きる若手演奏家に、
沢山の演奏の場、交流の場を設け、一般と業界の間にある重たい門を、
開かねばならない役目があると思って、前向きに行動しています。

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2010/9/1 大阪めっちゃ暑いねん

当頁の為の旅行日記を書いていたものの、
私のうっかり病で全て消去してしまい、
日記を一回更新し損なってしまいました。
すっかりご報告が遅くなってしまいましたが、
18日に、無事日本に戻りました。
「ただいま。」
やはり、ムッと暑いですね。夏って、こんなに暑かったでしたっけ。
更新し損なった日記にパリ旅行の様子を書いていたのですが、
もう今更ホットに書き直せないので、旅行日記は省略します!
過日開催致しました『夏の音楽会』の写真を幾つか掲載しますので、
御笑覧下さい。

それから、大阪新歌舞伎座公演の私の出演日をお知らせ申しあげます。
スケジュール頁でご覧下さい。
私は一昨日に始まって、半月大阪で生活することになります。
以前、なんばにあった新歌舞伎座が近鉄デパートの本社がある上本町駅に移って、
そのこけらおとしの公演に御一緒させて頂いています。
こんなに長く大阪にいる機会 は中々ないので、
上方にいはる友人知人にギョーサン会えたらエエ思いますぅ。
しかし、これだけ外で生活していると、
やはり重要になってくるのが毎回の食事。
朝食はホテルで済ませられますが、
昼夜の二回は外食になりますので、
付近にどんなレストランがあるのか、
メンバーの為にも私の勘を働かせて、調査中です。
ちなみに 、昨日探し当てたインド料理は美味でした。

大阪で歌舞伎公演に参加したのは実に10年ぶり、
10年一昔と言うのは本当で、
私も、それから周りのメンバーも皆10歳、年を重ねました(当たり前ですが)。
長である祖父の唯是震一師ですが、10年前は77歳、
今年は87歳ですが、箏の音は若々しく、瑞々しくて、
その音色を聴く度に、今を、この瞬間大切にしなければと、
何か私の意志でなく、血なのか、本能なのか、何かが奮い立ちます。

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2010/8/4 ドイツより暑中お見舞い申し上げます

無事、ドイツに着きました。暑中お見舞い申し上げます。

ドイツの皆さん、こんにちは。涼しいですね、ドイツは。

さて、8月1日に開催いたしました、
第二回奥田雅楽之一稽古場公式行事「夏の音楽会」、
お陰様で無事に結びました。
御来場のお客様、ご支援を下さった方々、
御助演の先生方、協力をしてくれたお稽古場の皆さん、
お暑い中、どうもありがとうございました。
皆さんのお力添えあって、題目の通り、夏らしい音楽会が出来ました。
なにぶん、会場が音楽会を開催する為の場所ではないので、
お客様には大変窮屈な思いをさせてしまいました。
音楽会用の会場を借りて開催する意見も出たのですが、
頑なに稽古場での開催にこだわったのは他ならぬ私でした。
普段我々が勉強の場としている場所に、一人でも多くの方に来て頂くこと、
それは、『お清め』の意味があって、
一同を、私を、芸を、心を、
お客様の目と耳で濯(すす)いで頂くんだという私の美観が、
そうさせる次第です。
何かしらの信仰心からではありません。
これはあくまで、私の一美学であります。
・・・とはいえ、ただでさえ暑い中を、
暑い空間にお招きした勝手は申し訳なく、恐縮致しました。
不行き届きをお詫び申し上げます。
音楽会は、内容が多彩であったので、
お客様個々の解釈やお好みによって、
ご感想も様々あったのでは、と思っております。
少しずつ、お一人ずつご感想を伺って、
反省材料を未来に生かして参りたいと思っております。


17日まで約二週間、ヨーロッパに滞在します。
オランダのアムステルダムに行く予定であったのですが、
飛行機と日程上の都合で、行き先を変えました。

私、今回は、パリに行きます。

体調を崩さない様に、自愛して過ごします。
よい夏をお過ごし下さい。

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2010/7/20 ヨーロッパへ行きます

8月2日から、ヨーロッパへ行くことになりました。
つまり8月1日開催の『夏の音楽会』の翌日に発つという、
強行かつ自分勝手な日程になってしまいました。
この季節は旅行のハイ・シーズンで、
航空券が高騰している上に選択の予知が少なく、
その他様々な事情を加味しても
今回は行くか行かぬべきかを大分迷ったのですが、
やはり私は、行きます!!!(←迷いを払拭するために必要な気合い)
久しくご無沙汰をしていたバイオリニストの阿部君をはじめ、
行く先々に面白い友人が沢山いるので、
御機嫌をうかがう良い機会になるかなと、もう私は開き直っています。

先日、久し振りに大阪へ行ってきました。
「大阪は暑い」という私の期待を裏切ることなく、凄い暑さでした。
今回は演奏会に出演する為に参じた次第ですが、
空き時間があったので、買い物に出て、大阪でしか買えない佃煮を買ったり、
本場のきつねうどんを食べたりして、何だか楽しかったです。
しかし、大阪に行くと、いつも面白くない事が一つあって、
それは宿敵阪神タイガースのテリトリーに侵入することです。
ただ、私の叔母が阪神ファンなので、
土産に関西限定の阪神のグッズでも買って帰ってあげようかと思って頑張って探すも、
中々見付からず、すぐそこの売店のオバちゃんに
「阪神タイガースのグッズが欲しいんですが。」
と尋ねたら、オバちゃんが不適な笑みを浮かべて言いました。
「どんなんがほしいん?」
私は気が付きました。
((まさか、この人は僕を阪神ファンと勘違いしてる??しまった!))

しかし、そこは大人しく我慢をして
「大阪限定グッズでもあれば大変結構なんですが。」
と答えたら、ご丁寧に案内してくれました。

不本意な出来事でした。
でも今年は(も)、巨人が必ず優勝します。
阪神ファンの皆さん、ごめんなさい。
我が巨人軍は、永久に不滅なのです。

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2010/7/13 祝スペイン

連日蒸し暑い日が続いておりますが、
いよいよ夏も本番を目前に控え、
心持ちは日増しに明るくなっていく気がしています。
世界中を興奮の渦に巻き込んだサッカーワールドカップ南アフリカ大会も、
幕を閉じました。
序盤から波乱が多かった割に、
終わってみれば優勝候補が優勝しました。
物好きな私は睡眠を惜しんで、
決勝を観戦してしまいました。
スペイン人の皆さん、おめでとうございます。

我らが日本代表はいうと、
周知の通り、大方の予想を覆す大健闘。
2勝1敗でグループリーグを突破。
決勝トーナメント一回戦ではパラグアイに惜しくも敗れはしたものの、
国民も納得の戦いっぷりでした。
”非難”は、する側もされる側も、
精神衛生上よろしくなさそうなので、
感動の内に幕を引いて、何より良かったと思います。

話を変えます。

多くの方から御心配頂きました祖母の中島靖子ですが、
退院をし、現在は演奏以外の仕事には復帰し、
週に3日はリハビリに通う日々を送っております。
肉体的にも精神的にも辛いと聞くリハビリは、
何が辛いかって、御本人いわく「地味」なんだそうです。
かと言って、ここは頑張ってもらわないと困る訳ですが、
高齢の祖母に辛 い事を強いるのは、幾ら孫の私でも気が引けるところです。

どういう巡り合わせか、今年は七夕に短冊に願いを書く機会がありました。
短冊だなんて久し振り過ぎて、
何を願おうか少しためらいましたが、

子供でないのに気負っても仕方がないので、

゛おばあちゃんの肩が早く治りますように゛

と、書きました。

来年までに治ってなかったら、来年も、もう一回書いてみます

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2010/6/28 夏の音楽会

スケジュールの欄にも掲載致しましたが、
夏も盛りの8月1日に、奥田雅楽之一稽古場公式行事を催すことが決まりました。
本年1月に執り行いました『平成二十二年新年初座入』以来、
二回目の公式行事となります。
この度は『夏の音楽会』と題しまして、
私のモットーとする「短時間(約一時間)の音楽会」の実現に向かって
運ばせて頂きたいと思っております。
開演:17時(従って18時には終演の予定です)。
場所:市ヶ谷亀岡八幡宮集会場(奥田雅楽之一稽古場)。
番組内容:
・地歌『八千代獅子』
・童曲『お姉様のおこと』
・常磐津『戻橋』
・新作『木花咲耶姫』

それから毎度の事で大変恐縮を致しますが、
この度もキャパシティの問題がございまして、お客様50名を定員とさせて頂きます。
心配性の私は、念のため入場整理券を発券します。
もしお越し頂ける方がいらっしゃいましたら、少々お早めに、
当方もしくは奥田雅楽之一稽古場番頭の田辺までお問い合わせ下さいませ。
終演後は、小さな懇親会のご用意がございます。
無礼講御免ですが、
稽古場一同と 触れ合って頂きたいという理由で席をご用意させて頂きます。

万事お繰り合わせの上、御来場を一同心よりお待ち申し上げます。

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2010/6/17 遠野市

岩手県の遠野市に行ってきました。
祖父は、遠野の名誉市民に認定されています。
本年は遠野物語発刊100周年に当たる記念すべき年で、
節目の一大行事に唯是震一氏による演奏会が催されました。
準備は、市長のさんが先頭に立って進められ、
又、会を盛大にしたいから是非御家族も一緒にと、
末裔私にまでお声を掛けて頂き、
一族ゾロっと遠野に出向きました次第です。
さらに。現地には正派東北支部の会員が結集していて、
多大なるお力添えがありました。
盤石な布陣のお蔭様で、見事な演奏会になり、感慨無量の気持ちでありました。
御来場頂いた沢山のお客様にも感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございました。

※過日は、ファミリーコンサートへ御来場頂きありがとうございました。
毎年恒例の(誕生日直前の私にとっては正に)節目の演奏会は、
沢山の方々にあたたかく見守られて無事に終わりました。
私も反省点ばかり目立って情けないですが、
努力を重ねて、芸が少しでも良くなる様に鍛練を重ねて参ります。
家元も、お蔭様で快復に向かい、
お医者様からも経過良好のお話があって一安心、
御心配頂き、本当にありがとうございました。
家元が退院後は、私も家元の手となり足となって支えていきます

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2010/5/21 ファミリーコンサートの前に

もうすぐ、毎年恒例のファミリーコンサートです。
本年はそういうイキサツで家 元が欠演となり、
演奏予定であった平井康三郎作曲「子守唄変奏曲」は無しになって、
噂によると、祖父が代わりに何か一曲を演奏するらしいです。
一体何の曲 を演奏してくれるのでしょうか。

私はというと、例の「狐の嫁入」を演奏させて頂きます。
大好きな三味線を演奏(しかも独奏)させて頂けることに、感謝しています。
それから最近、楽器(三味線)を改造しまして、
その成果が試される貴重な舞台でもあり、
色々な意味で真価の問われる舞台となりそうです。
少し専門的な話になりますが、
私は、バチの当て方を大きく3通りに分けていて、
舞台の広さや曲調(あるいは曲中)によって、
割と神経質に使い分けています。
今回は、中でも一番使わない奏法で臨む予定なので、
いつもより慎重になっています。
私は、三味線を習い始めたのが二十歳を過ぎてからとかなり遅かったので、
普通に 修業をしていても到底間に合わないと思い、
奏法と楽器を徹底的に研究しました。(現在も研究中)
色々と研究していく内に、段々と解ってくる何かがあって、
成し得るかどうかは私の努力と力量次第ですが、
突き進む方向だけは、今、ハッキリと見据えています。
私の代で、
つまり私の人生で確立しなければならないものが幾つかあると思っていて、
その為に必要な要素を今蓄えています。
私は恵まれた環境に生を受ける反面、
先祖代々からの責任を引き続き背負っているという自覚を持って、
ある種の芸格を養っていければと思っております。

何だかつらつら書いている内に随分と高飛車な日記になってしまいました。
まあ、こういうのも、たまには仕方ないです

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2010/5/7 家元が骨折しました

噂で既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、
一ヶ月前の4月8日、家元・中島靖子が、
重度の怪我を負いました。

出掛ける前に自宅で転倒し、左肩を複雑骨折しました。
おまけに脱臼までして、
高齢にもかかわらず存分に痛い思いをした様で、
私も寿命の縮む思いを致しました。
結局手術をして人工の骨を入れて、
現在はまだ入院、並びにリハビリ中です。
この一ヶ月は私も病院に通って家元の機嫌を窺いつつ、
指示を仰いでは都内を車で走り回って、
なるだけ皆様にご迷惑が掛からないよう努めました。
分かっているつもりではいたものの、
家元の抱えている仕事量の多さ、
責任の大きさには改めて恐れ入りました。
次の時代、すなわち母の時代になった時に、
母を支えていく役目を担うであろう私にとっては、
よい勉強の機会でもありました。
家元を見舞う時はなるべく長居させてもらって、
仕事の整理と、仕事に関係のない楽しい話もしています。
(家元は、病院の先生や看護士さんに
「なんでお孫さんなのに敬語で話をするんですか?」と言われ、
 思わず吹き出したそうです。)

私より半世紀以上も長く生きる祖母の一言一句が、
弟子であり孫である私にとっては、生きる花伝書であります。

※家元の仕事復帰は未定ですが、
夏休み明け頃には皆様に元気な姿をお見せ出来ると思います。
皆様のあたたかいご支援、ご尽力、
そして日頃のご苦労あっての正派邦楽会、
中島靖子一同です。
家元も今は開き直って休養をし、
数年分の疲れをとり、体調を整え、
正派にとっても充電の期間となって、
来る未来に向かって歩みを進めます。
今後とも、皆々様のご理解の下、
お力添えをよろしくお願い申しあげます

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2010/4/16 夜の東京ドライブ

久しぶりに日記を更新します。

先日、稽古がいつもより早く終わって、
気分転換をしたいからという私の我が儘に付き合ってもらって、
田邉くんと、片付けを最後まで手伝ってくれたお弟子さん二人と、
私の愛車で赤坂まで四人で焼肉を食べに行きました。
紙のエプロンをした大人四人が鉄板を囲んで、
跳びはねる油に怯むこともなく、
黙々と焼きたてのお肉を食べました。
お店を出て時計を見たらまだ8時半だったので、
せっかくだからもう少し夜の東京をドライブしようという展開になり、
再び車に乗りました。
建設中で話題の東京スカイ・ツリーを目標に定めて、
私もその日はゆっくり夜景が見たかったから
弟子の新見君に運転を代わってもらって、
車窓の景色をずっと眺めていました。
「ところで、スカイ・ツリーは何処にあるんだ。」
と私が言い出したら、
「下町の方だ」
とか、
「江東区じゃなかろうか」
とか、
「いや、足立区だ」
とか、
「本郷のビルの上からよく見えた」
とか、役に立たない意見ばかりが飛び交って、
その内に誰かが携帯電話で場所を調べて墨田区だとわかって、
そっちの方向に進み始めました。
浅草橋を越えて、やがてビルの切れ目からお目当てのタワーがお目見えし、
一同は子供みたいにワーっと歓声を上げました。
私達はタワーに限りなく接近して、せっかくだから車を降りて、
現時点の高さ338メートルを真下から口をあんぐり開けて見上げました。
「高いですね。」
「でも暗いね。」
「まだ建設中ですからね。」
「最終的には634メートルになるんだそうだね。」
「この約2倍ですね。凄いですね。」
「完成したら、又、見に来ましょう。」
お目当てを見物したら何だか安心して、家路につく気持ちになりました。

帰り道、ちょっと回り道をして、桜の名所・千鳥ヶ淵に行きました。
付き合ってくれた3人にありがとうと伝える代わりに、
都内屈指の夜桜を見てもらいました。
3人は、喜んでくれました。
散った花びらが御所の水に流されて、
そこに哀愁があって、少し切ない気持ちにもなりました

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2010/3/18 先生に質問

「先生、お稽古の前に申し上げたいことがございます。」
「おやおやウタコさん、言ってごらんなさい。」
「先生、私はプロのお箏弾きになりたいんです。」
「そうですか。そうなれるように頑張りなさい。」
「どうすれば、なれますか?」
「自分がお箏の専門家だと思って活動しておいきなさい。」
「思うだけでいいんですか?」
「思うだけで、良いとか悪いとか、そういう事はないよ。」
「先生はそうやって、いつもはぐらかすばかり。」
「ウタコさんの言わんとするところは、先生もちゃんとわかっていますよ。
 要するに、ど うすれば箏で食べてゆけるようになるかという問題を、
 明らかにしたい訳だ。」
「はい。おっしゃる通りです。その方法を教えて下さい。」
「それは、教えられません。」
「意地悪なこと、おっしゃって。」
「先生に対して、意地悪なんて言葉を使ってはなりません。」
「はい、ごめんなさい。でも先生ったら、いつも肝心なことはおっしゃらない。 」
「肝心な事だから、言わないんです。」
「どうしてですか。私は本当はプロになんかなれないと思っておいでだからですか。」
「思っていません。
 実はその方法を先生もよくわからないから、言ってあげないのです。」
「あらま、先生ったら。
 じゃあどうして私がプロになれるだなんておっしゃったんですか。あんまりです。」
「ウタコさん、そう感情的になっちゃいけない。
 先生は、あなたならやれば出来ると信じているから、そう言ったまでです。」
「私が努力をすれば、プロになれるということですか。」
「そう思っています。」
「なれなかったら、どうしますか。」
「なれなかったら、先生のせいだと言いたいのですか。」
「そういう訳では・・・」
「いいかい、よくお聞き。
 先生は自分がプロの演奏家だと思ったことは今日まで一度足りともありません。
 演奏だけで生活が出来ているとも思っていませんし、
 実際それだけで生活してくのは、厳しいものですよ。
 先生が筝曲家でいられるのには、
 周りの方の支えやご支援があるからに他なりません。
 だからこうして、自分は箏の先生だと言って威張っていられるのです。」
「はい、おっしゃっていることはよくわかります。
 でも先生のお話は、掴み所がなくって、私、何だか不安になるんです。」
「それはウタコさんが、結論を急ぐから。
 結論を急ぐのは、早く安心したいからではないですか。
 安心は慢心に繋がりますから、気をつけなくてはいけませんよ。」
「はい、わかりました。先生、私を支えて下さる人なんて、いるのかしら。」
「いますよ。あなたの前にまず一人。」
「先生は私の先生ですから。」
「ウタコさんは私のお弟子さんですが、
 私にとっては大切な、私を支えてくれている一人ですよ。」
「わかりました。ありがとうございます。
 先生、最後にもう一つだけ質問してもいいですか。」
「言ってごらんなさい。」
「先生のギャラって、幾らですか。」
「はっはっは。最近の子は本当に仕方が無いね。
 それは、決まっていませんよ。
 私の先生の先生がね『報酬は努力の御褒美』とおっしゃっていたそうです。
 ですから先生は、頂くものに対して恥ずかしくないよう
 努力を重ねてお務めしようと心掛けて稽古をしています。
 それが先生の答えです。」
「はい。わかりました。ありがとうございました。」
「では、今日のお稽古を始めましょう。」
「はい。あ、先生それから、まだ一つあった。」
「おやおや・・・。」
「んーと、んーと・・・。」
「では、始めましょう。」

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2010/3/12 阿伏兎の観音様

福山での「葛原勾当生誕200年祭」、
いわゆる、‘葛原先生に捧ぐ‘演奏会を無事に終えました。

会が済んだら真っ直ぐ帰って来るつもりだったのですが、
せっかく福山まで来たのだし、
家元も生まれて初めて福山の地に降り立ったようなので、
少し寄り道をして帰りましょうということになりました。

勘が鋭い人は既にお察しかもしれませんが、
我々は、鞆の浦(とものうら)へ行くことにしました。
鞆は、宮城道雄先生の故郷です。
福山のホテルをチェックアウトして、
目の前に停まっていたタクシーの運転手さんに、当方の意思を伝えたところ、
運転手さんも良い人で、親切に回ってくれる様子だったので、
その運転手に任せて移動することにしました。

鞆に行く前に、阿伏兎(あぶと)の観音様、という、
地元の人推奨の秘境へ行ってもらうことにしました。
福山から30分くらい掛かって、半島の先っぽみたいなところで、
運転手さんが「ここです」と言うので、
風も強いし、寒いから、
家元は車の中で待っててもらった方がいいかなと勝手に思っていると、
家元は「降りま す。」と言うので、
僕は一足先に車を降りて観音様の様子見に行きました。

どうやら、お目当ての観音様は、
階段を50段くらい上った先におられるようで、
足腰の悪い家元にはとても無理、
僕が上って感想をお伝えしようと決め込んでいたら、
家元が「上ります。」と言うので、
ゆっくり時間を掛けて上がることにしました。
慎重に上まで行って、観音様の前に立つと、
女性の乳房に見立てた飾りみたいな物が一杯に吊るしてあって、
何だか不思議であるなと思っていたら、
運転手さんが、安産の観音様なんだと教えて下さって、成る程と思いました。
足元が傾いていて、転んだら海に落ちていきそうでした。
観音様は、信じられないくらい高く狭いところに長い年月座しておられて、
感慨深い思いがしました。
観音様から見渡せる景色は、息を呑むような絶景で、
見渡す限りの海、海、海。
太陽の光を波に反射させて、波が光に反射しているのだか、
光が波打っているのだか、
兎に角こんなに穏やかな景色があってよいものかと思う程でした。

観音様に十分お参りをして、車は鞆の浦へ。
宮城先生所縁の地を転々とし、最後は名物の鯛料理に舌鼓を打って、
予定より早い新幹線に乗って帰りました。

不思議だな、と思ったことがあります。

帰って、宮城先生の随筆を読み返してみたら、こんな一節がありました。

『私の家は先祖から鞆であった。
その鞆へ、物心がついてからこの年になるまでにこのたび初めて帰るのである。
十時に鞆から迎えが来る筈の舟が、十一時になっても来ない。
十二時も大分過ぎたので、お腹が空いてきた。
今度はほんとらしい、舳先に立っているのは葛原先生らしい。
先生は「やあやあ」と言いながら、私の手を取った。
ここから、阿伏兎の観音様の楼が、美しく見えるという。
私はお参りがしたいので、舟をつけてもらうことにした。
船から降りて、葛原先生に手を引かれながら、
ゴロゴロとした石の上を歩いていると、
夏の午後の陽が照って、きりぎりすが鳴いていた。
観音様の楼の段々を登りつめると、下の方から微かな波の音が聞こえてきた。
お堂の中に入ると、畳が敷いてあって、狭い感じであった。
私はお礼参りに捧げられた乳を触らせてもらった。
私は観音様の慈悲や、親の慈悲というものを感じながら、
外へ出て朱塗の手摺やぎぼしなどをさぐってみたが、古びた感じであった。
足元の廊下が少し海の方へ傾いていた。』

葛原先生と、宮城先生と。

家元も、私も、葛原先生の会を終えて、宮城先生の故郷を訪ね、
何だか似たような状況を繰り返している因果の不思議に、
少し興奮し、日記に残しておこうと思いました。

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2010/3/5 狐の嫁入り

三味線に「狐の嫁入り」という曲があります。
作曲者は葛原勾当という人です。
葛原勾当は広島県福山市の出身で、箏、三味線の名手でした。
ちなみに、詩人の大家、葛原しげるは勾当の孫に当たります。

私は以前「狐の嫁入り」を人間国宝の二代目・富山清琴先生に教わりました。
しかし、我が家(正派)には伝承されなかった曲なので、
私はその曲を今日まで一度たりとも公の場で演奏しておりません
(私の場合は、基本的に伝承されている作品以外はお門違いと思って自重しています)。
ところが、やはり縁というのは不思議なもので、
この度演奏する機会に恵まれました。
というのも、本年平成22年は葛原勾当生誕200年に当たる記念の年なのだそうで、
現地で活動する葛原文化保存会の「節目に相応しく、
記念の演奏会を盛大に催したい」という御意向の下、
記念祭典の企画が立ち上がりました。
で、葛原先生に縁(ゆかり)ある人物として、
女学校時代に葛原しげる先生に教わっていた中島靖子に白羽の矢が当たり、
中島靖子は快く受諾、私も偶然「狐の嫁入り」をお習いしていたので、
富山先生のお許しを頂いて狐の嫁入りを解禁、
大きな会で演奏出来る運びとなりました。

という訳で今週末は福山にいます。

 

付け加えますと、葛原勾当は、業界内で結構有名です。
それは勾当が残した曲の価値も勿論ですが、
特筆すべきは勾当が残した日記、通称「葛原日記」と呼ばれる物にです。
盲人であった箏、三味線の名手が、
日頃の稽古の様子や、自作の和歌などを記したものは、
勾当の足跡は勿論、当時を知る文献としても貴重な資料です。調べ ますと、
『二十六才から自ら考案した木活字を用いて日々のできごと、
 和歌等を記し生涯に及んでいます。
 葛原勾当日記三帖十一冊と印刷用具一具ならびに三味線稽古墨筆記録十冊は、
 現在広島県重要文化財に指定され、勾当の業績を伝えています。』
とあります。

葛原大先輩に敬意を表し、奉納させて頂く心づもりで、
演奏出来るよう努めます

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2010/2/10 新年初座入が終わって

我が稽古場主催する初めての行事、平成二十二年「新年初座入」が済みました。
本年初めて稽 古場にお客様をお迎えし、
お客様には稽古場並びに出演者一同の芸を洗い清めて頂いた心持ちでおります。
来たる11日に、稽古場は晴れて開軒一周年を迎えます。
一年間、多くの先生方か ら多大なる御支援を賜り、誠にありがとうございました。
一同心から感謝致しております。

私を信じて付いて来てくれるお弟子さん達が、
この度、初めて演奏発表の場を持って、お客様の前で芸を披露致しました。
私も師匠として責任を負う以上、
弟子の一挙一動に注意を払いながら緊張の一日を過ごしましたが、
途中から心配が募り過ぎて何だかお腹が痛くなってきて、
軽い胃潰瘍みたいになりました。
しかも、お弟子さんにそれを言うと、皆、クスクスと笑います。
これが、親の心子知らず。というやつでしょうか。(笑)

当日、来て下さった方々、遠方よりご支援を下さった方々に、
心より御礼を申し あげます。
まだまだ歩み出したばかりの稽古場を、
今後ともあたたかくお見守り下さいますよう、
よろしくお願い申し上げます。


※出演の皆さんへ

過日はご苦労様でした。賛助の先生方、お力添えありがとうございました。
お弟 子の皆さん、立派に務めを果たしてくれて、嬉しかったです。
どうもありがとう。
僕は皆さんを導ける程の立派な人間ではないですが、
僕には先生方にお習いし た伝統を次に伝えていく義務と責任があるので、
皆さんが勉強しようと思ってくれることに、日々感謝してます。
人に優しく、自分に厳しい姿勢を崩すことなく、鍛練を重ねて、
芸に益々磨きをかけていって下さい。
私も皆に同じく、勉強と苦労を重ねます。
それから、家元からの講評が届いています。
次の稽古で個別に発表します。お楽しみに。
記念品、皆さん大切にして下さって、嬉しく存じます。
心を込めて作ってくれた山本さん、どうもありがとう。

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2010/1/26 新年初座入り

月末日の1月31日、市ヶ谷亀岡八幡宮に於いて、
奥田雅楽之一稽古場主催「新年初座入り(しょざいり)」を行います。
「初座入り」とは、茶の湯の言葉で、最初にお客様が席に入る、
という意味があるのだと伺い、この命名を思い付きました。
新年最初にお客様をお迎えする日、という私の思いがこめられています。
ちなみに、この世界に入って以来、
私が企画する催し物は、今回が初めてです。
まさにこの度初陣を飾ります。

内容は、稽古場生一同による演奏が主です。
賛助出演に専門家の方々をお迎えし、音楽に 彩りを添えて頂こうと思っております。
当方も少々演奏致しますが、
今回の私はあくまで責任者の立場で、
主役であるお弟子さん達の演奏を睨みを効かせて見守っていたいと思っております。
お客様を前に、演奏するお弟子さん達には目一杯緊張をしもらって、
幾つもの失敗をして、失敗を今後の成長に繋げていってほしいと思い 、
この会を企画した次第でございます。
あたたかくお見守り頂きたく、
皆々様のご指導よろしくお願い申し上げます。

続いて演奏が終わりましたら、懇親会と称した酒宴を予定しています。
(ちなみに私は全然お酒が飲めないので、ウーロン茶で参加。)
こちらもお気軽に御参加下さい。門人をご紹介したく存じます。

我が稽古場は、開軒以来お陰様で沢山のお客様にお越し頂きました。
外交を重視した我が稽古場にとって、
今回は、沢山のお客様をお迎えする大切な機会です。
未熟な者の集まりなので、
不行き届きな点も多々あると思いますが、精一杯の準備をし、
ご家族の方々をはじめ、ご友人、お仕事仲間等、お客様の皆々様をお迎えし、
楽しいひとときをお過ごし頂きたく存じます。
皆様もよくご存知の通り、
私も普段はテキトー人間の代表みたいな性格ですが、
公の場に出て、何かを中途半端にやる訳には参りませんので、
適材を適所に配し、万全の体制でお迎えさせて頂くつもりです。

一同心よりご来場をお待ち申し上げております。

※そんなことにはならないと思いますが、
 座席数に限りがございますので、
 誠に勝手ながら、入場をお断りする場合もございます。

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2010/1/5 謹賀新年

新年、明けましておめでとうございます。
旧年中は奥田雅楽之一をあたたかくお見守り頂き、ありがとうございました。
年末に当ページ更新の機会を逸し、ご挨拶のないまま年明けを迎えました事、
お詫び申し上げます。
本年はどんな一年になりますでしょうか。
とは言っても、今日の世は個人の単位で良い悪いを考えられる御時勢でなく、
リーマンショック以来、世界の経済不況はいよいよ深刻を極めておりますので、
人々の暮らしが少しでも安定(安心)する方向に進むよう、祈念して止みません。
と言いつつも、私個人に話を移しますと、
本年も慎重に芸道を邁進したい所存でございます。
皆々様のお力添えあっての私です。
未熟な私を、本年も厳しくお導きを下さいます様、よろしくお願い申しあげます。
我が一族の年末年始は毎年、大体決まった日課をこなすものですが、
本年は新春2日から歌舞伎の仕事があった関係で、
その舞台稽古が年末年始に立て込みました。
そんな中、87歳になる祖父も、84歳になる祖母も、
忙しい方が元気になる性質なのか、
愚痴の一つもこぼさず片道一時間を通うその精神力には、
孫の私も 恐れ入ります。
現在もほぼ毎日、祖父も祖母も、それから私も新橋演舞場へ通っています。

一月はNHKラジオの収録もあったり、
稽古場の新年会の準備もあったりと、
怠け者の私も覚悟して臨まねばならない一月になりそうです。
兜の緒を締めて、一日一日を丁寧に過ごしていきたいと思います。

本年は、抱負があります。

一人の芸術家になること です。

これは兼ねてから見据えた私のあるべき姿と思ってきましたが、
そろそろ自覚を持って動き出さねばならないと思っております。
生意気を言わせて頂ければ、私が目指すところは、
音楽家でも、演奏家でも、古典芸能家でもなく、あくまで芸術家という姿にあります。
芸術家とは、芸術の専門家です。
本年を結びます頃に、一 人の芸術家として世の中に芸術を生み、
表現出来るような生き方をしていたいと思っています。


皆々様にとりまして、幸せで、健やかな一年でありますように。

 

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All right reserved. (c) Utanoichi Okuda